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ジャニス・ジョップリンのこと [音楽]

夭折のロック・クイーン

 ハイビジョンで録画しておいた、6月25日の特集番組『世界のディーバ ジャニス・ジョップリン』をきのう(7/5)観ました。
私がジャニスを知ったのは27才の時、すでにジャニスはヘロイン中毒で亡くなっていました。友だちのうちで、アルバム『パール』を聞かせてもらったのです。ショックを受けました。すごいダミ声、振り絞るように歌う、ロックなのかブルースなのか見分けもつかなかったです。
 でも、それ以後、はっきり言ってジャニス以上の歌にお眼にかかったことがない。私の音楽の観賞眼は、大きく形成されてしまったといっていいでしょう。当時、図書館で『生きながらブルースに葬られて』という本も借りて読みました。歌のすごさの裏には、不幸な彼女の人生がありました。

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 特集番組の題には、『 ・・・恋人たちの座談会』という副題がついていて、ジャニスの元恋人たちが彼女について、彼女との恋について語るのです。NHKにしては思い切った企画でした。
 四人の恋人のうち、二人が元のバンド『ビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニー』のメンバーで、初めて惹かれた男(ジェームズ・ガーレイ)が妻帯者。子どももいたので、家庭に帰っていきます。同じメンバーのサム・アンドリューも恋人的な関係になります。しかし、“怒りキャラ”と“可哀想キャラ”をあわせ持つジャニスは、サムも手なづけるのに苦労し、別れることになります。カントリー・ジョー・マクドナルドもギタリストで、意気投合し、しばらくは生活を共にしますが、ジャニスの支えにはなれませんでした。
 そのころ最大級の野外音楽祭“モンタレー・ポップ・フェスティバル”では、ジミーヘンドリックやサイモン&ガーファンクルたちと歌いますが、一躍ジャニスの歌唱力が注目されるようになります。その後、収入は十倍にも増えたそうです。
 ジャニスは、バカンスでブラジルの海岸に行ったときに、デービッド・ニーハイムと運命的な出会いをします。彼だけが音楽に関わっていなかったけれど、そのために人間としてありのままに付き合えたのかもしれません。デービッドは彼女のことを「めずらしく自由な女性だ」と感じたそうです。そのころ、ジャニスは歌手として大きく飛躍し始めていたので、コンサートやレコーディングに忙しく、バカンスを切り上げて帰らなければなりませんでした。デービッドは自分探しのために世界旅行を続けることになります。彼がクレタ島に着くころに、アメリカ大使館あてに手紙を出す、そしてネパールのカトマンズで会おうと約束をします。ところが、ジャニスの手紙はデービッドがトルコに旅立った後にすれ違いでクレタ島に着くのです。
 そして、ジャニスは、1971年の10月4日、薬物の過剰摂取のためにホテルで命を落とすのです。ジャニスが27才のときでした。

 ジャニスは、テキサスの高校時代に『もっとも不器量な男子生徒』(女なのに)というレッテルを貼られてから、故郷に失望し、家出して大学に通っています。その大学も中退して音楽の道に入るのです。その頃、ニューヨークで一人の男と婚約して、ふるさとに一時帰るのですが、その男もジャニスがいない間に、他の女性と暮らし始めていました。ジャニスにとって本物の愛が信じられなくて、一夜限りの恋を重ねたといいますが、だんだん愛をはぐくむことに臆病になっていったのかもしれません。

 あまりにも短かった命、自分でも命を落とすとは思っていなかったでしょう。
かわいそうでは語れないし、理解しようもありません。でも、デービッド・ニーハイムの存在は、ジャニスにとって救いのように思えました。彼は旅先でジャニスの手紙を待ちに待っていたし、今でも本気で愛していると言っていました。ジャニスの恋は、歌うことや歌を作ることの原動力になったのでしょう。
 四人の男たちは、ジャニスの思い出話をします。それぞれが、一番ジャニスが愛していたのは、自分だといわんばかりの様子がなんとなく間抜けて見えました。

 ジャニス・ジョップリンの歌声は今も生きています。だれもが超えられないような高みをなして。『ジャニスの祈り』『サマータイム』は、私が好きだった曲です。




 
 

18の祈り~ベスト・オヴ・ジャニス

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コメント 2

どやじ

ジャニス ジョップリン、凄い!
私は、ハードロックやブルーズはよく聴いていたのですが、、女性ヴォーカルはそれほど好みませんでした。
高音域での濁声、、初めてかな。
ドラッグで亡くなったみたいですが、この表現もドラッグによるもんなんでしょうか?
わたしは、あまり、ヴォーカリストのことは知らず、ギタリストなら、ジミヘン、マーク ボラン、トミー ボーリンなんかは、ドラッグに頼って表現をして、亡くなったと思っているのですが。。。
まぁ、ドラッグを使ったとしても、いい作品は良い!いいのかなぁ?
ドラッグを使っても駄作しか作れなかった日本人もいましたね。たしか、名前は、、、角川春樹。。。
by どやじ (2008-07-08 21:20) 

whitered

どやじさんへ:ジャニス・ジョップリンがハイビジョン特集「世界のディーバ」三人の中の一人として選ばれたことだけでもすごいことだと思います。マリア・カラス、ビリー・ホリディたちとともに。22歳から27歳の6年ほどの間でたった3枚のアルバムと80曲の歌を残したのみなのです。ドラッグを使ったのは、仕方のないことですが、使わなくても歌えたと思います。事実、3ヶ月ほどドッラグフリーでがんばったそうです。いずれにしても、伝説のみにすがるほかありません。
by whitered (2008-07-09 17:55) 

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