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支えられた本 [本]

人生の岐路で出会った本

 今年の一月末に新聞の定期購読をやめました。一人暮らし同様になって、たまる新聞紙の廃棄処分や何より読まない日が続くと、お金の無駄を感じて、それまで欠かさずに取っていた朝日新聞の購読を一時ストップすることにしたのです。
 ところが、何ということでしょうか。駅の売店で購入したやはり朝日新聞の朝刊に私の好きな作家、乙川優三郎さんの小説が、掲載されていたのです。『麗しき果実』と題した時代小説です。しょうじき「しまった。購読を止めなければよかった。」と思いましたよ。たぶん、二月の半ばくらいに始まったのだと思います。

 三月のある日、朝日新聞の方が自宅近くに営業にこられたのを見て、「今からでも新聞を入れてもらえますか?」と聞いてみました。もちろん、「いいですとも。三月の残り分はサービスで入れさせてもらいます。」と、その他のサービスも付けて、応じてくれました。

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 その小説とは、乙川優三郎の得意とする封建時代の女性が、様々な制約の中で自立していく話し。今回は、理野という蒔絵師の家に生まれた女性が、零落した実家をはなれて江戸の有名な蒔絵師に雇われ、意にそまない数物といわれる櫛や印籠の製作をする中で、有名な作者の意匠を忠実に再現し、作者の代わりに世に出すことの矛盾や、自分の表現に目覚めていく過程を描いているのです。同じ気持ちを抱く祐吉や、かすかに恋心をもつ画家の鈴木其一との細やかな心の交流などが交差しています。おまけに、中一弥さんの挿絵が雰囲気を盛り上げます。新聞小説の醍醐味は、いうなればこの挿絵があることで、想像の手助けをしてくれることですね。中一弥さんの絵は素晴らしく、時代小説にこれ以上の挿絵画家はいないと思えるくらいで、記事の内容とあいまって残しておきたいという衝動にかられるのです。したがって、小説の切抜きを始めましたよ。さらにいうなら、おかげで新聞を捨てるのが以前にまして大変になりました。一日一日の新聞小説をカッターで切り取ってから、廃棄に回さなければならないので。

 乙川さんの小説が、なぜ好きになったのか。少し長くなりますが、お付き合いください。 それは、七年前。私のつれあいがどうしようもない病気で、入院していた頃のことです。ある出来事から、安定剤で眠らされる日が続くようになりました。できるだけ長い時間を付き添ってやりたいので、ベッドの横や待合室で、文庫本を持ち込んで時間を過ごしていました。その頃読んでいたのは、山崎豊子の『沈まぬ太陽』です。ごぞんじ、御巣鷹山事故と事故を巡る被害者家族とその家族に寄り添った社員の痛切な物語です。私は、この悲惨な事故に対面して、人々がどう平常心や自分の生き方を模索できるかの答えをさぐろうとしていたのかなと思っていたのかもしれません。この本も私を支えた一冊ですが、ここではもう一人の作家、乙川優三郎さんの本についてです。

 つれあいが自宅にいたころ、やってきた読売新聞のセールスの人に「たまには、違う新聞を読んでみるのもいいだろう。」と、結婚してからずーっと読み続けていた朝日新聞をやめて、読売新聞をとることにしたのです。そのころ新聞小説で始まっていたのが、乙川優三郎さんの『冬の標』(ふゆのしるべ)です。

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 こちらも時代小説で、時代設定は幕末のころ。藩の名前は定かではありませんが、利根川・思ひ川・狭野川が取り囲む小さな藩で、今の千葉県あたりです。
 主人公は、藩の要職をつとめる家の長女、明世。小さい時から絵が好きで有休舎という画塾に通っています。画友だちに蒔絵師の家に生まれた平吉、小録の家に生まれた小川陽次郎、三人は自分たちの将来や画に対する想いを有休舎へ行く道、帰り道に語り合います。藩の内部は、勤皇か佐幕かで入り乱れているようすです。明世は小川陽次郎に淡い想いを懐きつつも、武家のならいで、早くして意に染まぬ縁談を断りきれず、同じくらいの身分の武家に嫁ぎます。嫁いだ家で長男を産みますが、二十四のときに、夫の蔀(しとみ)が病気になり死んでしまいます。子どもを産んだために、一生、明世は家の犠牲となるのです。舅もなくなり、家は没落の一途をたどり、姑のそでも病に伏せる日々が多くなり、明世は子育てと介護に悶々とする日が続きます。やがて開国・大政奉還などが訪れ、小川陽次郎も追われる身となり、久しぶりに再会した喜びも束の間、帰らぬ人になります。
 明世は、すっかり気が弱くなった姑のそでの許しを得て、ふたたび画業に取り組むことになります。

 こんなあらすじでしたが、乙川の流麗な文章を、つれあいの病院からもどってからの楽しみにして読んでいました。そして、封建制が強かったその時代に、明世は家に対する義理をはたしながらも、自分の意思を忘れずに生き抜いた姿勢に、強く心をうたれました。乙川の作品には、『喜知次』『かずら野』など、芯がしっかりした女性像が描かれた時代小説がたくさんあります。もちろん、男性を主人公にして、封建時代の制約を切り開こうとしたいい作品もたくさんあります。『生きる』では、直木賞をとられていますね。
 
 ある意味では、『冬の標』は、私が辛かった頃の癒しの書であったと思います。一方、あまり触れませんでしたが、山崎豊子の『沈まぬ太陽』は、私にとって叱咤激励の書だったような気がします。乙川さんの作品には、なにより逆境の中でもくじけない女性の前向きな生き方が描かれているように思います。今後も注目していきたい作家さんです。
 

生きる (文春文庫)

生きる (文春文庫)

  • 作者: 乙川 優三郎
  • 出版社/メーカー: 文芸春秋
  • 発売日: 2005/01
  • メディア: 文庫



冬の標 (文春文庫)

冬の標 (文春文庫)

  • 作者: 乙川 優三郎
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2005/12
  • メディア: 文庫



喜知次 (講談社文庫)

喜知次 (講談社文庫)

  • 作者: 乙川 優三郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2001/03
  • メディア: 文庫



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コメント 4

yuki999

そういう本と出会うのはいいですね。
by yuki999 (2009-06-13 05:14) 

whitered

yuki999さんへ:コメントありがとうございます。本には単に絵空事とは思えないものがあるようです。読み手の受け入れ態勢もあると思いますが。
by whitered (2009-06-13 08:27) 

Ranger

家も朝日をとってるので、早速見て見ました!
うーん、僕も切り抜き作業開始かも! です^^
by Ranger (2009-06-13 12:12) 

whitered

Rangerさんへ:コメントありがとうございます。小説はもうだいぶんと進んでいますが、挿絵ならいつから開始してもいいですね。繊細ないい絵なので、時間があるときにまねっこして描こうかななんて、思っています。
by whitered (2009-06-13 19:00) 

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