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小野竹喬展 つづき [アート]

さらなる探求の結晶

 第二章 自然と私との素直な対話

竹喬が50歳くらいからの作品群です。南画風の表現を模索してきた竹喬は、この頃から大和絵風の表現へと変移していきます。その変移のきっかけの一つになったのが、あの高山寺の『明恵上人座禅図』だそうです。
竹喬は、ある雑誌にこんなことを書いています。
「高山寺所蔵の明恵上人座禅図は、いつ見ても新しいが、あの筆線の無邪気な豊かさは、特に美しい。南画を日本人として新しく生かそうとするには、この大和絵の線を研究しなければならないと思ふ。・・・・」

そして、日本の風土に根を下ろした、新しい線描の上に日本山水画を探求する時代に入ります。それにしても、数日前にわたしが高山寺で見た(レプリカではあるが)『明恵上人座禅図』を竹喬が見て、大和絵図の豊穣で新鮮な自由さを見て取ったことは、おどろきでした。

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今までの絵とは全然違う視点で描いている『野辺』という絵です。上へ上へと積み重ねて行った初期の絵とは違い、この絵はまるで地面にほっぺたをくっつけて見ながら描いたような絵です。極度に抽象化された草花に背景の青い空と白い雲。「案外なんでもないところに(絵が)描けるところがある。無心になって物を見るから出てくるのか、自分では分かりませんけれども、一つの造形感覚といったようなものがあるんでしょうね。」と梅原猛との対談で言っています。

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大きく取り上げられた空は、やがて茜色の空を追求するようになります。竹喬が「茜空の画家」と言われるようになったのは、このころからだそうです。

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その竹喬は85才の頃に、自分が若い頃から慣れ親しんだ俳句の聖人芭蕉の俳句の舞台を絵にしたいという念願を果たすべく、奥の細道へ旅行をします。そして10点の作品からなる『奥の細道句抄絵』を完成します。タイトルは芭蕉の俳句をそのまま使っています。上の絵は『あかあかと日は難面も秋の風』というタイトルの絵です。

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久しぶりに一人の画家の生涯をたどる作品群を観て、なんだか心が火照っているような気がしました。外に出て、慶沢園をぶらぶらすることで、少しおさまったようです。柳の黄葉が目に沁みました。
「小野竹喬展」は良かったです。有名な美術館の多くの画家の絵を観るのもいいですが、今回のように一人の画家の足跡をたどることで、そのつど画家が試行錯誤したり、熱中したり、探求していく様子がよく分かり、満足できて良かったと思います。画風が変移していく必然性や画家の想いが分かったような気がしました。若い頃の細部にわたる写実の天才的な表現もいいですが、晩年のいろんなものをそぎ落として単純化した絵画は、純粋に癒され安息できる絵だと思いました。


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