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住吉っさん [アート]

住吉大社1800年の歴史と美術

 いままでに「古今集1100年、新古今集800年」とか「奈良遷都1300年祭」に出合ってきたが、1800年とは驚きだ。10月31日に大阪市立美術館に行って観てきた。
先週の某テレビ局の「日曜美術館」でも少し紹介していたが、力の入った美術展のようだ。見ずにはおれない。

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おおまかに紹介してみると、
<第一章 住吉信仰と住吉大社の歴史>
まず、1800年というのは、いつを起点としているか。「古事記上巻」と「日本書紀 一・九巻」に書いてあるそうなのであるが、西暦211年神功皇后摂政十一年のときに住吉大社を住吉の地に鎮斎したそうだ。したがって、来年の2011年が1800年目に当たるそうだ。「記紀」の信憑性については、神話としての寓話もあると思うが、成立についてはその頃らしい。住吉神については、こうだ。イザナギノミコトがイザナミノミコトを追って行った黄泉の国からの帰りに、水の中で穢れを清めたときに多くの神々が現れた。住吉三神といわれる神もこのときに現れた神で、(表筒男命 うわづつおのみこと)(中筒男命 なかづつおのみこと)(底筒男命 そこづつおのみこと)という。住吉神は海の安全を守る神で、神功皇后が朝鮮出兵したときにも現れて水先の安全を確保したという。絵画にみられる住吉神は、翁の姿をしている。

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神功皇后も住吉大社の四番目の神として祭られることになる。住吉社は全国に二千余社を数えるらしく、そのうち長門(山口県)と筑前(福岡県)が有名で、古代において瀬戸内海が重要な航路であったことが伺える。

<第二章 住吉神と和歌>
万葉集ではスミノエの表記で出てくるそうだが、主に平安時代から、住之江、住吉は歌枕の地であり、多くの歌人たちに愛されたらしい。和歌三神といわれる(玉津島明神)(柿本人麻呂)(住吉明神)のうち、人麻呂以外の二神が祭られている。万葉集以降、多くの歌集や文学書、「源氏物語」や「土佐日記」「伊勢物語」などにもたびたび登場している。熊野詣でや高野詣での起点にもなることから、現地で安全祈願や娯楽としての歌合せも行われているようだ。また、神主を務めた津守国基も歌人であり、玉津島明神である依通姫を当大社に勧進したそうだ。その後、室町時代から現代にいたるまで、和歌に関する重要な行事が行われたらしい。玉津島明神は、風光明媚な場所にまつられる神だそうだが、たしかに古の住吉は海に面し、きれいな夕日が見られる景色の良いところだったのだろう。

時間切れになったので、今日はここまで。続きは次回にします。ごめんなさい。


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