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気になった映画 [映画]

「一命」最終日

 18日の金曜日、「一命」が最終日だというので、阿倍野のアポロ8に観に行くことにした。
ちょっと暗そうな映画だったので、あまり気がすすまなかったのだが、海老蔵の存在感がすごかったという友だちもいたし、今日が最終日ということもあった。

映画館に入ると、開始15分前でだれも座っていない。ええっ私一人と思ったが、そんなわけない。始まる前にはだだっと人が入ってきた。それでも、2~30名というところか。

ときは17世紀、徳川の時代に入ったばかり。諸国には、豊臣恩顧の浪人があふれ返っていた。幕府は何かにつけ、いうことを聞かない大名を取り潰す言い訳を考えていた。
津雲半四郎は、名門井伊家の玄関を訪れていた。
「庭先をお借りして、切腹をさせてほしい。」
という、ちょっとショッキングなプロローグ。取次の武士が目を丸くして、奥へ走る。

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津雲半四郎(海老蔵)も石高を減らされ配置換えをされた旧福島藩の浪人だった。病で亡くなった友人の息子千々岩求女(瑛太)と自分の娘美穂(満嶋ひかり)を添わせ、細々とその日凌ぎの生活を送っている。
ある日、娘夫婦に授かった赤ん坊が熱病におかされ、なかなか回復しない。金さえあれば、薬を買って、医者に診てもらえるのだが、それが叶わない。舅に妻と子供をたのんで、金策に出かける求女。

そのころ江戸城下では、名家の藩邸を訪れて、庭先を借りて切腹したいと申し出る浪人たちがいたらしい。多くは狂言切腹というもので、たいていの藩邸は庭先を汚されるのを嫌がって、二両か三両の金を渡して帰らせたのを当て込んでのしわざという。はたして、求女はそれに倣ったようだ。

待てど暮らせど求女は帰ってこず、そのうち赤ん坊は命を落としてしまう。そこへ求女の無残な亡き骸が運び込まれる。運んできた下働きの者に、最後の様子を聞きただす半四郎。亡き骸を見れば、およその場面が想像されたのだろう。

狂言切腹の例を残せば、あとあと同じ輩が後を絶たないと考えた藩の事情も分かる。しかし、刀はすでに竹光に変わっているものをあえて使わせ、何度もなんども腹をつつく様子を冷ややかに眺め、介錯もなかなかしようとしない武士たちの冷淡さに観るものは同情し、この復讐劇の理由を納得させる。

娘も後を絶ち、半四郎は婿の無残な死に方に一矢を報いようとしたのだろう。懐から三名の髷を取り出して、ころがす。切腹ならぬ果たし合いの始まりだった。しかも名もない武士が偉名を誇る名家に、婿と同じ竹光を持って。「赤備え」と恐れられた井伊家の鎧兜ががらがらと崩れ落ちる。

50年ほど前の「切腹」という仲代達也主演の映画のリメークということだった。
竹光での切腹場面は眼をつぶってしまった。瑛太と海老蔵は年齢的にはあまり違わないそうだ。瑛太の現代的なしゃべり方に対して、海老蔵はひくくゆっくりとした台詞回しで説得力があった。さすが、歌舞伎出身だ。

なぜ井伊家という設定にしたのか、求女が狂言切腹などという軽はずみな行動に及んだのかなど少し腑に落ちない部分があったが、映画としてはよく出来ていると思った。秀作だとはちょっと言い難いが、考えさせる部分はたしかにあったと思う。こんどツタヤで「切腹」を借りて観てみよう。


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大阪発 ドキュメンタリー映画 [映画]

大阪の障がい者雇用のドキュメンタリー映画

 知り合いの娘さんが初めて監督をしたという映画を観てきました。
「モップと箒」・・・障がい者雇用の実態を描いたドキュメンタリー映画です。
1999年に大阪で設立された「エル・チャレンジ」は、正式名称「大阪知的障害者雇用促進建物サービス事業協同組合」といい、障がい者施設以外の公共の建物を中心に、清掃業務を通じて約一年間の就労訓練をおこなうことを目的にしています。
発足いらい、400人以上が一般企業に就職したそうです。

上映しているシネ・ヌーヴォーは、地下鉄中央線、九条駅の商店街のはずれにある小さな映画館です。
かなり前に行ったことがありますが、何の映画を観たのか忘れてしまいました。

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ドキュメンタリー映画に登場するのは、まず知的障がい者たち。それぞれが個性にあふれていましたが、一生懸命に清掃の訓練を受けていました。「働きたいねん。」「結婚せなあかんから。」という彼らは、演技もなしで一人一人が人間的で輝いていました。でも指導員がいなくなると、窓ふきをきちんとせずにまあるく拭いていたり、箒をほったらかして喫煙してたりと、自立するまでがなかなか大変です。
つぎに登場するのが、指導者の青年だったり、おばちゃんだったりします。自立して、清掃の仕事に誇りを感じてもらうまでには、厳しく叱ったり、おだてたりしないといけません。
「今は生徒やけど、就職したらツレ(友だち)になる。」と言ってる女性の支援スタッフ。
「訓練も大事やけど、上下なしに遊ぶのも大事」と言って、お好み焼きを食べに連れていったり、ボーリングに連れていっていた大阪のおばちゃんスタッフ。
知的障がいを持ち今はグループホームで働いている子どもを持つ女性スタッフ。
彼らがぶつかり合う訓練の時間は、真剣そのもの、でもあったかい心が通い合ってました。

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一年の訓練を終えて、いよいよ社会に飛び立ちます。
「障がい者雇用促進法」というのがあって、従業員56人以上の企業や、職員数48人以上の公共機関には障がい者を雇用する義務があるとされています。
しかし、企業などがそれに違反していても、罰則規定はないそうなのです。納付金というのがあるらしく、それさえ払えばおとがめがないらしいのです。逆に、一定率以上に障がい者を雇用する企業には調整金が支給されるそうなのですが。
受け入れ側も、「不安」であったり、今まで彼らと付き合うことを避けてきた人たちが多いので、構えてしまいます。
彼らが、うまく働き続けるために、就職後もエル・チャレンジのスタッフは、働きぶりを見に行ったり、励ましたり、時には職場の関係者と彼らの就労のための調整をはかるために話し合いをもったりします。

親は、「さいきんすごく変わった。」「自分らがいなくなったときにちゃんと生きていってほしい。」ともらしていました。中には、人間関係で悩み、辞めていく子もいます。話を聞いて、わがままであるのか、職場に問題があるのかを見極めて、再就職をとりもちます。

映画の冒頭に、22分の1というポスターがアップされていました。
人口の22人に1人は障がいを持つことを意味しているのでしょう。
失業者があふれ、若者の就職氷河期と言われている現在、障がいを持つ人の就職はますます困難になっているでしょう。
しかし、一番弱い立場にいる彼らをどうやって受け入れていくかを考えることができる社会こそ、成熟した文明社会といえるのじゃないでしょうか。
いい映画でした。北川希監督、これからもいい映画を撮り続けてくださいね。

「モップと箒」はあさってまで、九条のシネ・ヌーヴォーで上映しています。上映時間は13:15と14:30です。

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ツリー・オブ・ライフ [映画]

まあいい映画の部類か?

 猛暑日の最後の日だったかな。あまり、暑くて映画館に避暑に行きました。
ちょうど『ツリー・オブ・ライフ』が来ていたので、観ることにしました。

あまり先入観はありませんでした。
ブラッドピットが出ていることとカンヌ映画祭で賞をもらったこと、予告編であの<モルダウ>が使われていたことくらいです。

初めの部分で、二男が死んだという電話を受け取るあたりから、うとうとしてしまいました。
眼が覚めたのは、カオスのような宇宙創生のCGが始まっているところでした。

この映画は、きわめてテーマ性が高い映画です。しかも、アメリカをはじめとするキリスト教の国に強く根差した家父長制というか、厳格な父親に対する子どもの反抗と継承の物語です。それが脈々と宇宙創造や生命の誕生から受け継がれてきているというふうな。ビッグバンを思わせる映像に重ねて、聖書のヨブ記がたびたび引用され、神がたびたび人間に困難を与え、人間に苦悩を与えてきたというようなことが書かれていました。

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テレンス・マリックという監督は、全然知りませんでしたが、ブラッド・ピットやショーン・ペンはかなり信頼している人のようです。撮影の朝ごとに、脚本を手渡されて、それも自然のなりゆきに任せて、シーンを撮って行ったらしいです。

それにしても、子役の長男を演じたハンターマクラケンはとても演技上手でした。というより、雰囲気にピッタリの子を見つけてきたんでしょうか。彼とブラピのやりとりは迫真に迫ったもので、物語に必然性を与えていました。

いろいろな人のブログやコメントを見ていると、この映画の評価は賛否両論で、かなり意見が分かれていました。
20分で席を立ったとか、意味不明とか辛辣な意見がかかれていました。
私は、いい方の映画だったと思います。そして、ブラッドピットが言っているのですが、「・・・賛否含めて、議論に火をつけたことが、映画の成功だ・・・」と。

映画はいろんな役割があると思います。娯楽を求めて観たい場合は、それなりの映画を探せばいいし、刺激が欲しいときは、そういった映画を探せばいいし、私みたいな人は眼が覚めるといい映画をやっていた、でもいいのではないかと。
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女殺油地獄 [映画]

シネマ歌舞伎

 七月大歌舞伎を観たあと、もう一度仁左衛門を観たくて、パークスシネマに行ってきました。
『歌舞伎座さよなら公演』で上演されたものです。

人形浄瑠璃の世話物として、近松門左衛門が江戸時代に書き下ろした作品です。
ずーっと前に、堤真一と樋口可南子が主演した映画を観て、それ以来堤真一の隠れファンになった作品です。

近松は、江戸時代の当時、実際にあった「油屋女房殺し』の事件を見聞きして、この作品を書いたらしいのですが、話の中味は極めて悲惨で、放蕩息子の河内屋与兵衛に同情する余地は、もうとうありません。
映画のパンフレットから写真を最写しました。

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与兵衛は大坂天満の油屋の放蕩息子、今の父親は先代の奉公人であった徳兵衛です。母親のおさわと徳兵衛はなんとか与兵衛を立ち直らせたいと思っていますが、ある日、遊び人の仲間とともに野崎参りの物見遊山に出かけた先で、さる武家の行列に泥をかけてしまう事件を起こします。
行列の中にいた叔父森右衛門は、責任をとって町人に戻り、与兵衛の兄の太兵衛は、与兵衛を勘当するように徳兵衛に進言します。
ふてくされて家を出た与兵衛を待ち受けていたのは、借金の催促です。明日の明け方までに戻さねば、十倍?もっとかもしれませんが、お金を返さないといけないのです。
油屋仲間の豊嶋屋では、女房のお吉が子どもたちを寝かせています。お吉は先だっての野崎参りのおりにも、与兵衛の泥だらけの着物を、洗ってやったりして世話を焼いていますが、夫には不義の疑惑をかけられていました。

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映画「ブラックスワン」 [映画]

わりきれないバレエ映画

 久々にアポロエイトに行って、「ブラックスワン」を観た。
この映画館は近いのだが、あまり気に入った映画はやらない。この映画は、バレエものということもあり、観てもいいなあと思えた。

ナタリー・ポートマン演ずるバレリーナのニナ。「白鳥の湖」の主役になりたくて、自分をアピールする。もともと優等生タイプで、マザコンのきらいがあるため、「黒鳥」になりきれない。同じバレエ団のリリー(ミラ・ニクス)が主役をねらっている。

母親との関係もうまくいっていないようで、ひとりで自分の殻を壊そうとするが、精神的に極限まで追い詰められていくという話だ。

感心したのは、ナタリー・ポートマンもミラ・ニクスも映画の撮影に入る前、毎日4時間、7ヶ月間みっちりバレエの訓練を受けたらしい。だから、ほとんど(ちょっとは使っている?)スタントを使わずに撮影したそうだ。ナタリーもミラも美しいバレリーナになりきっていた。
とりわけ、ナタリーの憂いを含んだ悩める白鳥を演じる姿は素晴らしかった。

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映画を観ながら、「17歳のカルテ」を思い出した。ミラ・ニクスがアンジェリーナ・ジョリーを彷彿させたし、なんとウィノナ・ライダーまで出演していたからだろうか。

最後のあたりの心理的サスペンスはおよそ予感していたが、なんとなく割り切れないものが残った。何が現実で、何が幻想だったのか。何が残ったのか。

私自身にこの手の映画に対する寛容性がないだけなのかもしれないが。


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映画「アメイジング・グレイス」 [映画]

思いがけず、良かった!

 先日、娘といっしょに映画を観ることになりました。「神々と男たち」を観ようかと提案しましたが、娘はもう一つという表情でした。そこで、一致したのがテアトル梅田でやっている「アメイジング・グレイス」でした。

 私は単なる恋愛映画だろうと思っていましたが、違いました。
おおまかなストーリーを書きます。
イギリスの18Cのことです。
ウィリアム・ウィルバーフォースは若き政治家でしたが、イギリス国教会の牧師ジョン・ニュートンに影響を受けます。ジョン・ニュートンは、牧師になる前は奴隷貿易船に乗る航海士でした。アフリカから悲惨な状態で連行される奴隷たちの現状を見て、ジョン・ニュートンは悔い改めて、牧師となるのです。
アメージング・グレイスの賛美歌は、そのジョン・ニュートンによって作られた賛美歌でした。
 「すばらしき神の慈しみよ
  こんな悪人まで救ってくださった
  かつて道を外れていた私を
  神が見つけてくださった
  見えなかった目も今は開かれた」
という歌詞です。

ウィルバーフォースは、この歌に支えられて、「奴隷貿易廃止に関する21の議題」英国庶民院に提出します。ところが、奴隷貿易による恩恵を受けていた多くの議員たちにより、あえなく否決されます。友人の英国最年少の首相であるウィリアム・ピットとともにその後20年間、法案を出し続けますが、そのたびに否決されます。
絶望の淵にいるところに現われた女性が、銀行家の娘バーバラ・スプナーでした。彼女はウィルバーフォースの理想に共感し、萎えかけている勇気を鼓舞し、結婚していっしょに戦おうとします。そして、ついに1806年に外国の奴隷貿易船を助けたり、参加することを禁止する法案を通過させました。翌年の1807年にはやっと「奴隷貿易廃止法」を通すことに成功したのです。イギリスのお国柄で「国王裁可を受けて」、やっと念願の法案が成立したのです。
アメリカでリンカーンが奴隷解放宣言を行ったのが、1862年だから55年も前にイギリスで法案が通過している。ただし、1833年にすべての奴隷に自由が与えられる奴隷廃止法が成立しているので、自由と平等の道は険しくきびしいことが解かります。

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私は、映画を観ながら、「原発廃止」でもこれくらいの年月がかかるのだなと思っていました。パンフレットに目を通していると、脚本を手がけたスティーブン・ナイトはウィルバーフォースのことを「彼はゴールを追及する一途な男だった。そして、敗北から成功を掴み取ったんだ。当時の人々にとって、奴隷制度を廃止など馬鹿げた考えに過ぎなかった。現代人ならば、今すぐに内燃エネルギーを放棄しろと提唱しているようなものだったんだ。」といみじくも語っていました。それともう一つ映画の中で、1806年に外国が奴隷貿易をするのを助けてはならないという法案を通したとき、まず外堀を埋めていく方法をとりました。そのときにラテン語のある言葉を引き合いに出していました。そのある言葉を覚えていないので、残念ですが、たしか訳して「ズル」をすると言っていました。
したたかな老獪な議員たちを納得させるには、正攻法で行くより、ある意味で「ズル」することも必要なのかもしれません。

妙に納得しながら、映画館をあとにしました。いい映画が娘と観れて、良かったです。
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映画とさくらと [映画]

SOMEWHERE

 今日は、予定がなかったので、久しぶりに映画でもと思い、いつも行く梅田ガーデンシネマに行きました。そこで観たのがソフィア・コッポラ監督の「SOMEWHERE」でした。

ヴェネチア映画祭の金獅子賞をもらったという触れ込みでしたが、あまりよくはありませんでした。
ハリウッドのセレブな俳優で、自堕落な生活を送る主人公が、11歳の娘と過ごしたかけがえのない時間によって、目覚めさせられていく。というストーリーでしたが、この手の映画としては、ギャップなり変化があまり描ききれていないと思いました。主人公の退廃的な魅力もあまり感じられなかったし、娘のけなげさや可愛らしさも物足りなかったので、自己嫌悪に陥る必然性といったものの説得力が感じられませんでした。
まあ、観る映画がすべて出来がいいとは限りませんものね。あまり、賞をとったからといって、信じてはいけないと思いました。

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しかし、予告編でやっていた「神々と男たち」と「マーラー 君に捧げるアダージョ」というのは、良さそうです。もうすぐ来るらしいので、観に行きたいです。

映画館のあるビルの窓からは、梅田の貨物操車場があります。いつもは、コンテナ車が走っているところは見られないのですが、走っているのを見ました。東北地方に物資をおくっているのかもしれません。

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そのあと、梅田スカイビルを降りて、地下鉄の駅と反対方向に歩いてみました。ビルの谷間から、桜が咲いているのが見えたからです。スカイビルの西側に公園があるのを初めて知りました。およそ7~8分咲きといったところでしょうか。映画で満足しなかった分を、桜で取り返したような気分になりました。

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映画「クレアモントホテル」 [映画]

ことし始めての映画

 昨年から観たいと思っていた映画でした。連続上映を逃して、10:00からの一回上映の日に、朝早く家を出て行ってきました。梅田ガーデンシネマに着いたのは、午前9:40でしたが、すでに15人くらいの人が並んでいました。私と同じくらいの年恰好の方ばかりでした。

この「クレアモントホテル」は原作者が、エリザベス・テイラーでてっきりあのハリウッドの大女優さんの自叙伝かなにかと思っていました。ごめんなさい!
女優のエリザベス・テイラーが12歳で「緑園の天使」にデビューした次の年に、作家のテイラーがデビューを果たしています。英国の国民的作家ジェイン・オースティンになぞらえられるも、どうやら同じ名前でずいぶん損をしておられたようです。
生涯11の長編小説の10番目の小説が元になった映画だということでした。

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映画の内容は、人生の晩年をロンドンの長期滞在型の「クレアモントホテル」で過ごそうとやってきた老婦人パルスリー夫人(ジョーン・プロウライト)が、誰のためにでもなく自分のために生きていこうとする話です。そのホテルには、同じ様に滞在している老人たちが大勢いて、おたがいに訪問客やかかってくる電話に興味津々で観察のし合いをしています。同じロンドンにいる孫に電話をするも、留守電にかかってしまい、連絡がとれないままです。

ある日、郵便局から帰るとちゅうで、パルスリー夫人は転んで怪我をしてしまいます。近くの地下室に住む作家志望の青年ルード(ルパート・フレンド)が、それを見かけて手当てをしてやります。
夫人は御礼にホテルに招待して、夕食をごちそうすることにしました。ホテルに帰って、女友だちに「若い青年がホテルに訪ねてくることになった。」と告げると、物見高い老人たちは、「ついにお孫さんが訪ねてくるのね。」と早合点をしてしまいます。夫人は、あとに引けなくなって、ルードに孫の代わりをしてくれるかと頼みます。そして、夫人と偽物の孫ルードの冒険が始まっていくのです。
作家志望の青年は、夫人に今までの人生のあれこれを聞き、小説の材料を仕入れようとします。ルードの家で手製の料理を食べながら、夫人は聞かれます。「好きな映画は?」「逢引よ。」「好きな曲は?」「フォー・オール・ウィ・ノウよ。あなたは知らないでしょう。」というと、少しずつ歌いだすルード。
『・・・わたしたちが知るかぎり
    これは、夢かもしれない
    出会って別れゆく二人
    水面に立つさざ波のように
    私たちの知るかぎり・・・』

孫のようなルードとパルフリー夫人の奇跡のようなひととき。いつしか、夫人の目には涙が・・。やがて、ルードは運命に導かれるように、本物の恋に出会います。ビデオ屋で「逢引」を借りようとしたときに、出会った娘と意気投合し、夫人を交えてデートをするようになります。
しかし、夫人はふたたび転倒し、病院へ・・・。

かなり、大まかな紹介になったけれど、良かったです。夫人の分別と知性のある若者への接し方、説教臭くなく、相手を理解しようとする態度に好感が持てました。若者は?いまどきこんな青年はいないでしょう。おそらくわが国では。ちょっと年が離れていたりすると、もうオバンで、対等に話ができる対象とは思っていないでしょう。でも、映画は素晴らしいですね。夢見ることを自分の代わりにやってくれるんですから。
「どの詩人が好き?」と若者が聞くと、「ワーズワース」と応えます。ああ、若いときによく読んでいたっけ私も。そして、若者が好きな詩人は、W・ブレイクですって。知らないなあ、今度本屋さんで読んでみようと私もパルフリー夫人のように思いましたよ。

監督は、ダン・アイアランド。素敵な、人生を見つめるいい映画でした。ルパート・フレンドは最高でした!!
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アンゲロプロスの三作品 [映画]

シュールでもの悲しい映画

 記事を書くのに長い時間が経ちすぎて、投稿に失敗した。くじけずに書く。しかし、多少荒削りになることを許してください。

BS2で取り貯めた映画を三本立て続けに観た。テオ・アンゲロプロス監督の『エレニの旅』『永遠と一日』『霧の中の風景』だ。どれも、ギリシャの現代史とくに戦争に巻き込まれていった悲劇を背景に描いている。

『エレニの旅』は、ロシア革命でオデッサを追われたギリシャ人が、帰国してニューオデッサ村を築くところから始まる。荷物を持ち、黒っぽい服の集団が沈鬱なおももちで降り立つ。オデッサで両親を失ったエレニもその中にいる。

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一族の長であるスピロスは、その妻が亡くなったあと、成人したエレニを妻にしようとする。スピロスの息子とエレニは愛し合っていて、結婚式の当日、二人は逃避行に出る。二人には双子の息子がいたが、幼すぎた二人には育てる力がなく、双子の子どもは秘密裏に裕福な家庭にもらわれている。

テサロニキで二人は音楽を生業とする芸人たちに助けられるが、スピロスは二人を執拗に追いかける。白布の丘というところで暮らし始める二人。そこには、シーツのような布を大量に干しているため、一面真っ白に彩られた丘がある。アコーディオンの腕前を買われ、ニコスの元で音楽で暮らし始めるアレクシス。

ある日、反体制派の祭りで演奏を行っている時に、影のように現われたスピロスは、仮面の女を誘って、ダンスをする。仮面をとった素顔の女はエレニであった。スピロスは、不意に心臓発作に襲われる。

父親スピロスの遺骸を乗せた筏は、ニューオデッサに向かう。またまた黒尽くめの人々、そして黒い弔旗。
アレクシスとエレニは双子の息子たちを引き取り、ニューオデッサにある元の家で暮らそうとする。村人の反応は、意外なものだった。家の大きな木に吊るされていたのは、スピロスが飼っていた羊たち。二階の部屋には、無数の石ころが投げられる。スピロスはリーダーだったとはいえあまりに暴君で、村人たちは今までのうっぷんを晴らしたのだった。

次の日、村を洪水が襲った。一夜にして沈むニューオデッサ村。CGを使わず、あくまでアナログを通した監督は、どのようにして大洪水を引き起こしたのだろう。エレニたちの家は洪水の中で半分だけがシンボルのように立ち尽くす。

家族は、ふたたび白布の丘で暮らし始める。村では、反体制の人たちへの弾圧がひどくなっていた。ニコスも銃弾に倒れる。アレクシスは、ニコスとは別の興行家たちと一緒にアメリカにわたることを夢見るようになる。成功したら、いつか迎えにくるからと納得させ、アレクセイはアメリカへと旅立つ。

残されたエレニは、ニコスをかくまった罪で投獄されることになる。長い歳月がたち、出獄するエレニ。双子の息子の一人が戦死した現場に行き、死を認める場面。エレニの精神がだんだん耐えられなくなってくる。夫からの手紙がオーバーラップする。成功を夢見たアメリカは、話とかなり違っていて、アメリカから太平洋戦争に参戦せざるをえない状況が垣間見える。ついで、双子のもう一人の息子が発見される。監視をくぐって、沼地と化したニューオデッサの中に浮かぶ家に、息子が横たわっていた。そして、またアレクシスが沖縄戦で戦死した事実も知らされることになる。

悲惨な結末を迎えたラスト。重苦しいギリシャの現代史の物語。にもかかわらず、見終わって、不思議な感動を覚えた。おそらく、テオ・アンゲロプロス監督の卓越した映画の作り方がそうさせていたのだろう。白と黒の見事な色の使い方、ギリシャ悲劇を思わせる象徴的な展開の仕方。寡黙な人々が語る最小限の言葉たち。雨が多く、窓ガラスに伝う雨の滴と情けないようなぬかるみ。音楽は主人公と同じ名前をもつエレニ・カラインドルー。ギリシャの民族音楽にロシア風のテイストを加えたようなメロディーが、繰り返し流れる。

見事でした。

『永遠と一日』も良かった。死期を悟った詩人である老人が、ふとしたことからアルバニア難民の少年を助け、一日だけ一緒に「旅」をする。その「旅」の中で、生涯の中で大切にしてきた妻との思い出がよみがえる。少年との別れ。死に立ち向かう老人の姿が、これも見事に描いてあった。

『霧の中の風景』は、少女と弟がまだ見ぬ父親を探しに、ドイツへ旅をする話だ。お金もなく、パスポートも持ち合わせていない姉弟が「旅」をするには、あまりに現実はむごく切ない。こころ温まる人たちとの出会いもあるが、その「旅」は姉弟にとって、大人になっていくための「旅」のようでもあった。そして、国境の霧の中で見たものは・・・。

重い三つの作品を矢継ぎ早に観ての感想は、あまりに負担が重い。
共通するキーワードは、「旅」であるように思える。帰るところがある「旅行」ではなく、行くところを探して行く「旅」である。それは、運命でもあるし、「人生」でもあるだろう。ひょっとしたら、その国がたどる道だったのかもしれない。監督の眼は冷徹だが、温か味があり、生きて行くことへの賛歌を詩情豊かに歌い上げているのだと思った。


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「ノルウェイの森」を観て [映画]

故郷の高原を見たくて

 前評判で、故郷の近くにある高原が、映画「ノルウェイの森」のロケ地に選ばれたことを知っていた。砥峰高原という。村上春樹の作品はあるにはあるが、ついに読まずじまいだった。
だから、「ノルウェイの森」というのがビートルズの曲だということも知らなかった。家に帰って、ビートルズの赤いバージョンのCDを覗いてみると、たしかに存在する。

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さて、目的の故郷の景色は、どうだったか?私は40年以上前に訪れたきりなのだが。懐かしい想い出がある。たしか、中学生で遠い所から通っている女の子に誘われ、7~8人のグループでバスに乗って、また降りた所から延々と歩いて、砥峰高原に行った。その頃の中学生の女の子は、紺色のズボンに紺色の事務服のような上着。制服ではなかったが、申し合わせたように同じ様な服を着ていた。季節は初夏だったので、白いブラウスを着ていた。ひょっと後ろを見ると、いつの間にかその村の男子の中学生のグループが後をつけて、上ってきていた。私たちが、後ろを振り返ると、男子グループもさっと身を縮めるようにして隠れる。砥峰高原に着くと、『イモリ』釣りをした。お腹が妙に赤黒いイモリを初めて見た。それから、私たちはふざけて、中学校の体育で習ったマズルカステップを踊った。今から思うと、男子中学生たちに見せ付けていたのかもしれない。その日は無事に帰ったのだろう。明くる日は、学校で男子たちが、「○○たち踊っていたやろ。」と面白そうに笑っていたのを覚えている。その頃の砥峰高原は、やはりなだらかな草原が広がっていて、ところどころに湿地帯があり、そこにイモリが生息している。5月には天然記念物のアヤメの群生が見られる。

「ノルウェイの森」の映画の中では、やはり初夏と秋の一面のススキの場面と雪が積もっている場面と三つの季節で登場していた。初夏の草原では、主人公のワタナベと直子がせかせかと歩きながら、身上の告白をしている場面の舞台となっている。雪が積もった草原の場面では、直子が自殺をする舞台となっている。

記憶にある砥峰高原との違いでいうと、もっと広かった気がするのと、灌木がほとんどなかったのに、木が大きく育っているぐらいであった。とにかく、手付かずの自然という点では、以前のままであった。

映画自体は、これもまた主人公たちが、私たちと同時代を生きていて、共通することが多々あった。見ていて気恥ずかしい部分がたくさんあった。

高校生の時に主人公の親友が何も告げずに、自殺をする。親友の死に対する”喪失感”と、親友の彼女がもつ”喪失感”があり、大学生の時にワタナべと彼女の直子が再会し、二人はそれぞれの”喪失感”を埋めようと近ずく。大事な人を死なせたという負い目からか、自分自身の”喪失感”を穴埋めしようとしたのか、お互いを楽にしてやりたい、幸せにしてやりたいと努力するが、ついに二つの”喪失感”は交わることがない。取り残されたワタナベには、唯一「緑」という希望が残される。

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あのころの学生たちは、『学園闘争』に理想への道筋を見出し、挫折をする。ヘルメットをかぶっていた人だけではなく、それぞれのやり方で理想を追求して、挫折をした人もいる。”喪失感”が親友の死という形をとっているが、あの頃の若者たちの共通の運命だったのではないかと思う。そこから、一筋の光を求めて自分の道を探し当てたのだと思う。

この映画は、私にも『井戸の底』に下りて、自分の過去や自分の魂を見よと投げかけているように思えた。村上春樹さんの本も、また読んでみよう。




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