SSブログ

京都御所 [旅行]

 御所公開最終日

 四日の日曜日、京都御所公開の最終日だったので、観に行くことにした。
京都駅からA2番に来たバスに乗り込み、出発。
京都府立病院前で降り、梨木神社の方へ歩いた。
入り口は、西側にある宣秋門なので、とにかくえっちらおっちら歩いた。
最終日なので、大勢の人が来ていたが、並んでいる人はいなかった。
中が広いので、入り口で制限しなくてもいいのだろう。

DSC01911-1.jpg

御車寄という昇殿を許された者が参内する時の玄関を通りこし、諸大夫の間の前に来た。中が見えるようになっていて、襖の絵が見える。桜の間、鶴の間、虎の間とだんだん身分が高くなると控える部屋も違うようになるらしい。

DSC01914-2.jpg

新御車寄は大正天皇の即位礼に建てられたそうだ。以後、天皇皇后両陛下の玄関になっている。

DSC01918-3.jpg

現在の京都御所は、土御門東洞院殿といわれた里内裏が発展したものらしい。1331年の光厳天皇が即位されてから、明治2年に明治天皇が東京に遷られるまで皇居とされたらしい。
御所の南に朱塗りの塀で囲まれたところに紫宸殿があり、朝廷と言われた広い庭があった。

DSC01920-4.jpg
DSC01922-5.jpg

紫宸殿はレンズに入りきらないくらい大きな建物で、入母屋檜皮葺きの高床式宮殿建築で、広い庭に面して建てられている。そういえば、映画「陰陽師」を観たときもこういう庭や、宮殿が出ていたっけ。

DSC01925-6.jpg

紫宸殿の裏に、東向きに建てられた清涼殿があった。やはり、東側には庭があり、儀式の際に使用されたとのこと。この二つの建物は寝殿造り。また、この部屋の南に「石灰の壇」という場所があり、そこから伊勢神宮を遥拝されたという。

DSC01930-7.jpg

しばらく歩くと、小御所という建物があったがそこも諸種の儀式や武士との対面も行われたらしい。慶応3年(1867年)12月9日に王政復古の大号令が発せられた日の夜、「小御所会議」がここで行われたそうだ。
昭和29年に焼失し、同33年に復元されたそうだ。小御所は寝殿造りと書院造りの混合した様式だそうである。

DSC01933-8.jpg

小御所、御学問所が並んで建つその前には、御池庭という回遊式庭園がある。広大な池には、欅橋、土橋、石橋と三つの橋が架けられている。

DSC01935-9.jpg

また、御学問所の襖には、中国の建物や儀式の絵などが描いてあった。

DSC01939-10.jpg

御常御殿を過ぎると、御三間という建物があり、幼少の明治天皇が有栖川宮熾仁の挨拶を受けている様子を表した人形が飾ってあった。

DSC01951-11.jpg

御学問所や御常御殿あたりから、儀式的な色合いが徐々に消えて、居住性が濃くなって、迎春(こうしゅん)御涼所といった建物は、さながら源氏物語の春の御殿や夏の御殿を連想するような趣があった。
西洋的な華やかな建築美はないが、全棟檜皮葺でおおわれ、一つの建物の中に3~15室もの部屋が設けられ、それぞれに有名な絵師の障壁画や襖絵があるのだから、日本建築の贅と粋を尽くしたという他はないだろう。また、庭園もさすがと言える規模と美しさがあった。

DSC01955-12.jpg

まあ、かつての都の中心だった建築を観れて良かったと納得して、御所を後にした。
nice!(6)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 6

コメント 4

かずのこ

僕もこの日、行ってきました^^
by かずのこ (2012-11-07 21:48) 

whitered

かずのこさんへ:行かれてましたか~!私はいつも行きたいと思っていましたが、宮内庁へ申し込みするのもおっくうで、やっと行ってこれました。
一見の価値はおおいにありましたね。
by whitered (2012-11-08 09:15) 

koji

こんにちは。参内お疲れ様でした。
新御車寄の桜の襖絵、気になりますね~アップありがとうございます。
御常御殿の帝鑑図障壁画は、ひじょ~に気になります!
これで、里内裏の規模だというから、昔のお貴族様の生活は、どんなだったんでしょうね・・・
まさに、源氏物語の世界ですね・・・・土御門といえば、彰子中宮・・・紫式部ですね~(同じ土御門ではないかもしれないけれど。)笑
by koji (2012-11-08 15:54) 

whitered

kojiさんへ:コメントありがとうございます。桜図もう少し引き寄せて、ピントを合わせたらよかったですね。何度も火災があり、その度に再建されているそうで費用の方も相当だったでしょうね。
土御門系というのは、中宮彰子にゆかりがあるのですか。私は大きな建物よりも物陰に何かが潜んでいるような気がして、キョロキョロしていました。昔の貴族は退屈しないように、いろいろと遊びを考えていたのでしょうね。まあ、知的な遊びなのでしょうけど。
by whitered (2012-11-09 22:04) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

やっと会えた!正倉院展 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。