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初めての南三陸町(1) [旅行]

学びの旅として

 かねてから行きたかった被災地東北に行く機会を得ました。
南三陸町福興市を共催している「全国ぼうさい朝市ネットワーク」のH氏にサポートを願って、お茶の店を出すために30、31日と行ってきました。

30日は、H氏に南三陸町の被災した各所を案内してもらいました。
現地はほとんどの瓦礫が撤去されてはいるものの、鉄骨とコンクリートの断片のみになった建物や海水がたまったままになっている窪地がいたるところにあり、震災・津波の被害が生々しく想像できました。

毎月二回は現地に行っているH氏が定点観測している場所に案内してもらい、説明を受けました。
海からの道が盛り上がっている真ん中あたりに三陸鉄道が横切っていたそうなのですが、あとかたもなく流されています。左寄りに赤い鉄骨だけになった建物が、あの最後まで町民に呼びかけて津波の犠牲になった女性がいた防災庁舎のなごりなのです。

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下に降りてみると防災庁舎の建物跡には、たくさんの人が訪れ、語り部さんの話を聞いたり、手を合わせておられました。この建物には当時40数名の方がいて、8名は助かったものの30数名は助からなかったそうです。今、この建物を取り壊すかどうかでもめているそうですが、遺族の中でも残骸を見るにしのびないという方と後世の教訓として残すべきだと意見が分かれているそうです。
陸前高田市では一本松が残されようとしていますし、各地域でシンボル的な負の遺産は残された方がいいと思うのですが、今のところ取り壊される運命にあるようです。

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つぎに南三陸町に58か所あるという仮設住宅の近くに行ってみました。
南三陸町の被災前の人口は、5,362世帯、17,666人。津波による死者は611名で行方不明者は237名だそうです。そのうち仮設住宅で暮らしているのが、2,195世帯あるそうです。
町で二番目の規模の「平成の森」の仮設住宅に行ってきました。通路に廊下や囲いがあるところと個別の玄関だけに囲いがあるところがありました。
中は四畳半が二間と台所があるだけの仮設住宅。いくら家財道具を流されたからといって、震災前は、庭があり畑作りも漁業の作業場にもなった広い住宅があった方たち。子や孫が遊びに来ても泊められないし、家財道具もこれから増えていくでしょう。夏にもなると上下水道のタンクあたりがにおってくるそうです。
そして同じ部落がまとまって入るのではなく、(平等に?)抽選が当たったところから入ったそうで、以前のご近所さんがばらばらになっているそうです。
はやくちゃんとした公営住宅なり、助成金なりが交付されて自分の家が持てるといいなと思います。

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そのあと、塩害の杉を見ました。終戦以降、ほおっておかれた杉は根が浅く、津波の海水を吸い込んで、枯れてしまっています。間伐もされずに細い杉がいたるところに植えたままになっていて、それがあちこちに塩害にさらされているのです。

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戦後の安い輸入材でこしらえた家は、津波にもろく、すぐに瓦礫になってしまうそうです。
今、地域の杉の木を使って、杉の家を作ろうという企画が始められているそうです。ちゃんとした木材の家は、流されてもまた使用できるそうです。「杉の家 さんたろ」というらしいのですが、校倉造りならぬ板倉づくりとして、紹介されていました。
そのモデル住宅に「南三陸まちづくり機構」の事務所がありました。

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時間があったので、「南三陸さんさん商店街」にも行ってみました。31日はやることがあるので、お土産を買うのは今だと思いました。次回には「さんさん商店街」のことを書いてみます。
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