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瀬戸内スタディーツァー (二) [旅行]

邑久光明園から長島愛生園へ

 邑久駅からタクシーに分乗して、邑久光明園に行った。
聞き取りをするTさんのお住まいまで、ゴロゴロキャリーバッグを転がして捜し歩いた。
1人がチャイムを鳴らすが、返事がない。
裏側に回って、お名前を呼ぶと出てこられた。

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この光明園はもともと大阪市西淀川区に府県連合立として、大阪・奈良・京都・兵庫・和歌山・三重・岐阜・富山・石川・福井・滋賀・鳥取の二府十県が連合して公立療養所、外島保養院として、1909年に設立された。
ところが1934年に室戸台風で壊滅したため、1938年にこの岡山県長島に移設され、1941年には国立療養所邑久光明園と改められた。

炎天下ということもあり、Tさんのお家の中で聞き取りをすることになった。
Tさんは大阪府出身で、16歳の時(1943年)に戦時中、中国で電信技術員として働いているときに、当時でいうらい病と診断され、日本に送り返された。3か月間通院の後、邑久光明園に入園されたそうだ。
10年間は家族と交流されなかった。というのは、自分のことで家族に弊害があってはいけないという理由でと話された。その後は、ちょくちょく大阪市内で(家ではなく)兄弟とは会うようになった。やがて、園内の女性と結婚されるが、「優生手術」を受け、子孫を作らないことが条件だったようだ。
その後、26年間結婚生活を続けられたが、奥さんは島内にある共同墓地に埋葬されたそうだ。
島の生活は、働くことも可能で、若い療養者の間では、仕事があるとひっぱりだこだった。食事は三度々運ばれて来て、空になると持って行ってくれる。戦争の時にも、食べ物には不自由しなかった。
洗濯は自分でする。
治療は、ずっと油薬と言われる薬を使っていたが、プロミンがアメリカで発見され、1949年から予算化され、使われるようになった。
1955年に、島と内陸の虫明地区を結ぶ橋を作れと国や市町村と掛け合った。対岸の人たちに「橋が出来たらあいつらがぞろぞろ出てくる。」といって、反対されたが1988年に出来上がった。
その頃には、ハンセン病が薬で治る病気で、感染力も非常に弱いということが知られるようになった。
「だれかが、辛かったことはどんなことですか?」と聞いていたが、Tさんは、「そりゃあ、辛かったことはなんぼでもあったが、辛い辛いと言っていたんでは、生きていけんでしょう。」と言っておられた。
押して図るべしである。
聞き取りは、2時間足らずで打ち切ったが、Tさんは始終淡々と語られ、「今は一年に一回、大阪に帰るが、その時はじゃんじゃん横丁で麦焼酎を飲むのが楽しみだ。」「故郷はもう家もないし、兄弟もいないからなあ。」と言っておられた。顔面に後遺症もお持ちで、眼も少しお悪いようだ。最近は、内蔵の治療も受けていると言っておられるTさんは85歳におなりだ。
キャリーバッグを持って帰る私たちを、玄関でいつまでも見送ってくださった。


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瀬戸内スタディーツァー (一) [旅行]

岡山から邑久へ

 暑さにもだいぶ慣れて来たこともあり、前の仕事仲間の方たちと「瀬戸内スタディーツァー」に参加することにした。
旅行の目的は、一つはハンセン病患者として長い間偏見のもとで人権を奪われた方たちの思いと歴史をしること。もう一つは山口県の祝島に行って、島民全体が原子力発電所建設反対に立ち上がって、自分たちの生活を守ってこられた現場の空気に直接ふれることである。

新幹線で岡山に降り立った私たちは、まず昼食の場所がそこを通ると近いということもあって、後楽園に入ることにした。
緑あふれる後楽園はなかなか雄大で、見応えがあるが20分という制限もあって、突き抜けて南大門を出た。
小学生たちがたくさんいて、写生会をしていた。

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それを横目に見ながら、「荒手茶寮」という料理屋さんに入った。
烏城(岡山城の別称)彫りがほどこされた、お膳や小皿に盛られた弁当風のお料理がなかなか美しい。
今回の旅行では、一番のおススメ料理とあって、お味もなかなかのものだ。この料亭は、地元のお見合いや結納に使われるらしい。

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お昼が済むと、在来線に乗って、邑久という岡山県東部の駅まで行った。そこからまたタクシーに分乗して、邑久光明園に着いた。
昔は橋がなく、舟で人や物を運んでいたらしい。今は、邑久長島大橋というりっぱな橋が出来て、陸続きで行けるようになっている。
光明園は、もともと大阪の西淀川区にあったそうだが、1934年の室戸台風で壊滅状態になり、邑久の長島に移転されたそうだ。

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道すがら、「隔離から解放へ」と書いた碑が目に入った。

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ここの療養所に住んでおられるTさんに聞き取りをするのだが、次の記事に回します。
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長谷寺うら参道 [旅行]

ふたたびの長谷寺参り

 もう八年ほど前になるだろうか。三十三か所巡りを始めたのが、ここ長谷寺からであった。
その時によく知らなかったこともあり、番外の発起院をとばしてしまっていた。
妹と、「牡丹の花のきれいなときに行こうな。」と約束していたのが、急きょ12、13日に行くことになった。

妹が午前中仕事があったので、温泉がある井谷屋に予約をとって一泊し、13日の朝から発起院に向かうことにした。
発起院は、三十三か所観音場巡りの発端を作った徳道上人の墓所がある、こじんまりとしたお寺である。

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ご朱印をもらってから、長谷寺へ行くわけだが、この日は二回目の訪問とあって、裏参道を行くことにした。
といっても、そこが裏参道であるとは、あとから知ったわけであるが。
発起院から左に曲がらずに、まっすぐ與喜天満神社がある山の方へ行った。

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階段がこれでもかというほど続き、そのうち下を見ながら歩くと、階段の多いのが気にならないなあと気づいた。やがて天神さんの垂れ幕が見えてきた。

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なかなか厳しい荒人神のご様相である。
降りるときには、また別の道から降りると、途中に連歌院の跡地というところに出た。

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「連歌」というのは、中世の日本の文化的行事の一つであるが、やはり有名な歌枕の土地であるために、いろんな歌人や俳人が訪れたのであろう。そう思うと、山道さえ「なにやらゆかし」の趣で、なにか熊野古道を歩いているような、心持であった。じっさい、杉の葉が落ちている段々が過ぎると、こんどはいつの間にか笹の葉が敷き詰められた道になり、いつしか素戔嗚神社に続く道にでた。

   

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雨のカヌーキャンプ [旅行]

きびしい天候の元で

 恒例のカヌーキャンプに今年も行くことになった。
5月3日、朝5時に起きて出発する。
近畿自動車道から第二京阪奈道へ。
京都に入ると、上賀茂から鯖街道に入って滋賀に出るコースを走る。
途中、朽木の道の駅に立ち寄る。
いつも通り、ここで珍しい食料品を購入する。椎茸、漬け物、栃餅など。
日曜日にはもっとたくさんの店がでる。

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高木浜サニービーチに到着。
テントを建て、カヌーをおろしたり、組み立てたりする。

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さっそく、事件が起きる。
キャンプ場の客の子どもがサンダルを流した。お父さんが水着に着替えて湖に入るが、サンダルはどんどん深みに行ってしまう。
「それっカヌーを出せ!」と誰かが叫ぶと、カヌーキャンプの子ども二人が早速ライフジャケットをつけてカヌーに乗り込む。瞬く間に、サンダルをゲットする。
お礼にワインをいただいた。

昼過ぎから雨がぽつぽつと。
早めにカレーの支度をし、その日は早めに就寝。

次の日の朝は、なんとか天気が持つ。
朝、北西の湖面すれすれに虹が出ていた。
みなさんは、カヌーで海津大崎の鼻をめざして遠出する。
前の日に岬のとったんにある大崎寺から、下の海岸に降りたので、この日はパス。
私と友だち三人は、スキー場にある温泉まで行くことに。

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女子会で京都へ [旅行]

京都へ一泊旅行

 一月の中学時代の同級生で行ったカニ女子会のあと、京都へ行こうということになった。いいだしべえの私が幹事だ。
満足してもらえるようなプランを立ててみた。

4月22日11時に京都駅集合
一泊する旅館に荷物を預ける。
お昼は、新阪急ホテルの「美濃吉」の花見弁当+生麩田楽
一日目は、七条通りを中心に見学する
渉成園のお庭拝観→
三十三間堂→
智積院→
旅館へ(日帰りの人はJR京都駅へ)
二日目は、JR京都駅のロッカーに荷物をあずける。
四条通りへ移動
建仁寺→
花見小路→
お昼ごはん(松葉のそば)とお土産ショッピング

そして、当日は・・・雨だった。
みなさん大きめの傘をしっかりもっている。
「美濃吉」でお昼ごはんを食べてから、移動開始。
7人だったので、タクシーで渉成園に移動する。あまりに近かったので、ちょっと嫌がられた。
渉成園では、名残のぼたん桜や雨に洗われた新緑が美しかった。

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こんどは、三十三間堂までまたタクシーで移動する。
清盛ブームなので、いつもより人が多いような気がする。
およそ1005体あるという仏像は、迫力満点である。湛慶などが彫っているという千手観音菩薩立像は一体一体がお顔や姿が違っていて、見ていて飽きない。

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道なりに歩いて、ホテルのラウンジでコーヒータイム。甘いものが食べたくなって、みんなで半分こする。

そして、智積院では四時になっていた。
寺宝の長谷川等伯親子の桜・楓図を見る。お寺の講堂では、田淵俊夫画伯による墨絵の襖絵を見ることができた。

そのあと、日帰りする友だちを見送り、旅館へ引き返す。
部屋で一休みしてから、京都タワーホテルの12階にあるレストラン「空」で晩御飯をいただく。
JR京都駅を望む展望レストランで、夜景を見ながらのフレンチは美味しかった。

帰ってから、大きなお風呂にみんなでゴー。
そのあと眠りにつくまでおしゃべりが続く。

あくる日は、バスに乗る。東山安井で降りて、建仁寺へ。
ここでは、俵屋宗達の「風神雷神図」が見られるほか、小泉純作画伯の天井画「双龍図」が見られる。
お寺の庭では、もう牡丹の花が咲き始めていた。

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愛嬌たっぷりの双龍図を見た後、花見小路へ。
情緒豊かな街並みを歩いていくと、あの悲惨な事故があった四つ角にさしかかる。曲がり角にはたくさんの花束がたむけてあった。

南座のとなりの「松葉」でお昼ご飯をいただく。
昨日から、ごちそうづくめなので、軽くおそばをと思ったが、みんなは天ぷら定食を。さすがみなさん健啖だなと感心する。

そのあと、河原町通りでショッピングをしてから、帰路に着いた。
小学校や中学校時代の友だちというのは、またいいものだ。一切の説明やあいさつをぬきに話ができる。それから、お寺では仏様に手を合わせたり、お賽銭を入れたり、お札をもらったり。みんな、一様に信心の気持ちも育って、いい大人になったのだなとおかしかったりする。
またね、また元気で会おうね。といってお別れした。

私のお土産は、旅館の「黒柿」というお茶菓子が美味しかったので、ゲット。それからダイエットにいいという「桑のお茶」。ぴょんぴょん堂のこいのぼりの絵の懐紙。そのほか八橋とすぐきのお漬物も買いました。

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今日庵見学 [旅行]

茶道の聖地へ

 裏千家の家元宅に見学に行けることになった。ふだんは、なかなか見れない場所なので参加することにした。
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 4月6日、総勢50数名が大徳寺東門に集合した。この日は、私が習っている教室の生徒だけでなく、淡交会の大阪の方々、東京から来た方々も交じっていたようだ。

まず、訪れたのは、大徳寺聚光院の境内にある利休居士のお墓、大徳寺の山門の二階に雪駄履きの利休像を安置したことから、秀吉の怒りに触れ、切腹を命じられた利休。彼の墓は、灯篭様をしていて、墓地の真ん中にあり、表千家、裏千家、武者小路家の子孫たちの墓に囲まれている。墓の形は、裏千家がまん丸い石、武者小路家が道標のような柱様に屋根がある。表千家は覚えていない。

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お参りをしてから、お寺に上がらせてもらって、襖絵や利休の像を拝見した。聚光院は、三好義嗣が父長慶の菩提を弔うために建てたお寺で、長慶の法号からとった名前であるそうだ。大徳寺の開祖は、笑嶺宗訢和尚という方で、利休はその俗弟子となったので、この寺との縁が深かったのだろう。

その後、大徳寺用達精進料理方「一久」という料理屋さんに行って、お昼をいただいた。
精進料理なので、生物はなかったが、味に工夫をされていて、なかなか美味しかった。

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雪の城崎へ [旅行]

女子会でカニと温泉

 昨年の中学校の同窓会の後、女性だけでカニを食べに行こうという話が持ち上がっていた。
それが、先日の日曜日実現した。

行き先は、城崎温泉の西村屋招月庭。
大阪からだと特急「浜風」に乗るものと思っていたが、福知山経由の「こうのとり」という特急のチケットを手に入れた。

11時50分に城崎温泉駅に着くと、あたり一面白銀の世界だった。旅館のバスに乗り込んだら、同級生たちが席を陣取っていた。

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宴会が始まり、カニ会席が出てきた。会席の方はゆで蟹半杯と焼き蟹がついているだけで、カニを目当てにすると少し物足りないかもしれない。しかし、つもる話や女の胃袋では、この辺が妥当だと思った。
しかし、西村屋だけあって、カニの美味しさは一級品だった。それに但馬牛のしゃぶしゃぶも付いていた。
近況報告、来ていない同級生の話、学校時代の思い出話、先生方の話、次はいつ集まろうかという話。
ひとしきり話をして、皆で温泉に入ろうということになった。
雪の降りしきる露天風呂は最高だった。

みんなは日帰りなので、駅に向かうバスに乗り、私は途中で降ろしてもらう。
ここからは、私の一人旅が始まる。

お昼がずれ込むのが解っていたので、一泊朝ご飯付きの安い旅館を申し込んでいた。
この雪景色の中では、安い旅館の方が情緒があるというのは言い訳かもしれないが、もうあまり無駄遣いはできない。
この古い小さな旅館から見る雪は、40cmほども積もっていて、手を伸ばせば届くくらいの身近なところにあった。
旅館で小休止してから、温泉街の賑やかな通りに出た。

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いきしなに眼をつけていた土産物屋さんで、お雛様の展示をやっていた。
コーヒーをたのんで、こたつにあたりながら、ゆっくりと時代雛を見せてもらった。大きな体の享保雛、高砂の姿をした100歳雛、おかごに乗った豆雛、御殿の中でくつろぐ御殿雛。衣装を見ても、刺繍や飾りでなかなか豪華なコレクションだった。

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反対の壁際には、竹久夢二の絵葉書のコレクションが飾ってあった。すべてオリジナルの肉筆ものであった。贅沢な気分にさせてもらったので、お礼に帰り際にはロールケーキを買わせてもらった。

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一人旅というのは、計画していないところで、思いがけない楽しみがある。今回も雪景色に加え、お雛様や夢二の絵に出会うことができ、満足の旅であった。

明くる日は、朝は外湯の「御所の湯」へ行ったあと、チェックアウトをした。旅館で長靴と傘をお借りして、麦わら細工記念館や城崎文学館におとづれ、時間を過ごした。長靴と傘は駅前の旅館案内所でお返しすれば、持ち主の旅館にもどるしくみになっている。こういうところは、古い温泉場の人情あふれるもてなしの一つに思える。

 温泉場 雪の日に知る 人情(なさけ)哉    竜子 
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20年ぶりの同窓会 [旅行]

変るもの、変らないもの

 10月16日は、私にとって20年ぶりとなる中学校の同窓会がありました。
同じ学年54人中亡くなった人が7人ということで、幹事さんが急いだそうです。そのうち、28人が故郷にできたホテルに集まりました。

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そのホテルも同級生の一人が設計したということで、スイスの山小屋を意識したなかなかお洒落な建物でした。
子どもの頃は、泥だらけになって遊んだり、けんかしたり、大騒ぎしたりして、思い出が多かったです。
両親が苦労して育ててくれた家も今はありません。そのころは、それなりに賑やかでした。お店もたくさんあり、村の行事も盛んでした。
宴会の後、昔通っていた中学校に行きました。昔は小学校ととなりに中学校があって、真ん中に体育館兼講堂があって、すべて木造校舎でした。今は鉄筋になって、中学校は隣町に移ったそうです。みんなで自分たちの記憶にある遺物をさがしましたら、顕彰碑が場所を移してあったのと、見覚えのある桜の木が数本ありました。

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もう一つのお楽しみ [旅行]

奈良での二日目

 二日目は、『江戸三』に車をおかせてもらって、「ならまち」を歩きました。
その日の目的は、『遊中川』の本店で、お昼ごはんをいただいた後、麻の織物体験をすることでした。予約の時間は午後1時なので、それまでの時間は骨董めぐりです。
まず、「もちいど商店街」へ行って、それぞれの欲しいもの探し。
私は、安くて良い「お茶入れ」を探すことでした。一軒のリサイクルショップで、大量の茶道具を置いているのを発見。
数万円するものから、何千円かの手頃なものまでありました。
私は、その中から二点ほど選んで、熟考に熟考を重ねました。「瀬戸肩衝」が標準的で良いのですが、私は「文琳型」のかわいい形が気になりました。備前焼の火襷がかかっているものです。けれど、その「文琳型」の茶入れにはお仕覆がついていませんでした。これにお仕覆を別に買うと、また数千円かかります。

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お店の方が、他の茶入れに着せてあったお仕覆を脱がせて、持ってきてくれました。これまた可愛いピンク色の裂地で作られています。これが、ぴったりと合ったので、このコンビで買うことにしました。大阪のおばちゃんがするように値切ってみましたが、結局消費税分だけ安くしてくれただけで、予算より2000円ほどオーバーしてしまいました。

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でも、自分が気に入ったものを買うのが、何よりなので、買ってしまいました。
他の友だちは、ワイングラスを買った人、床の間に飾る香炉を買った人、他の店でワンピースを買った人、リサイクルの着物を買った人、それぞれ自分の需要を満たしていました。

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おやど 江戸三 [旅行]

お気に入りの宿

 今回は、私たちが泊まった旅館『江戸三』について紹介します。
奈良燈花会には五回来たことになりますが、『江戸三』に泊まるのは三回目となります。

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このお宿は、奈良公園のど真ん中にあり、しんじられないくらいの静寂な場所です。
創業は明治40年、大阪の江戸堀三丁目にあった料理屋さんが、この地に移ってきたので名前が『江戸三』なんだそうです。志賀直哉、小林秀雄、藤田嗣治、小出楢重、堂本印象、池波正太郎、鈴木信太郎など多くの文人・墨客が愛して訪れたそうです。

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最初に泊まったのは、母屋の続きになるお部屋。たぶん女性ばかりだったので、母屋続きの場所にされたのかなと思います。しかし、二度目も同じ部屋でした。もちろん、しつらいは言うまでもなくたいへん凝った造りで、窓を開けると鹿さんが、こんにちはと顔を合わせてくれる部屋だったのですが、さすがに今回は別のお部屋を見たくなり、希望を言ってみました。すると、今回はこちらの真ん中に位置する離れでその名も『中央亭』。

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