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僕は、そして僕たちはどう生きるか [本]

梨木香歩の本

 図書館で、さあ帰ろうというときに、眼があった本。
読み終えて返さなければいけないので、少しだけ覚書を書くことにする。
といっても、夜中の三時を回ってしまったので、まとまって書けるはずもないのだけれど。

まず、これは少年少女のために書かれたほんだろうと思うが、一般にも十二分に読める本である。
「西の魔女」が生きることの意味を追及した、ジュニア向けの本であるなら、この本は「生きるならどんな風に生きるんだ」という続編のような気がしてならない。

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登場人物は、ある意味よく似た人物たちだが、物語のはじめでは、それぞれの繋がりが不鮮明だ。
コペル・・・父母と別に暮らしている14歳の少年。あだ名はコペルニクス的転回から来ている。
ノボちゃん・・・コペルの母の弟で、染織やらなんやらをしている自然人。
ブラキ氏・・・コペルの愛犬。
ユージン・・・雑木林に囲まれた古い屋敷に1人で住んでいるコペルの友だち。学校に行けなくなっている。優人という名前をカタカナであらわしてある。
ショウコ・・・ユージンの従妹で、時々ユージンの様子を見に来ている。
米谷さん・・・戦争のとき、兵役を拒否して駒追山の洞穴に逃げ込んで、戦争が終わるまで出てこなかった人。
インジャ・・・ユージンの雑木林のどこかに隠れ住んでいる少女。DVで心が傷ついている。ショウコは、よく世話をしているらしい。
マーク・・・オーストラリアから日本へ来た青年。ショウコの母の友だちの息子。

なぜか、初めから孤立している人物同士が登場してくる。孤立というより、独立心が旺盛なコペルやショウコ。
ふとしたことで、AVの監督にだまされ、心身ともに傷ついて、孤立を選んだインジャ。その物語が語られ、ユージンの雑木林に隠れ住むようになった経過がわかる。
ユージンが登校拒否になった理由が、熱血教師の自己満足的な取り組み(ユージンの大事にしていた鶏を巧妙に説得したあげく、解剖して料理してしまうという出来事)によってであることが分かったことは、コペルにとっても驚きであったし、読み手にも衝撃的であった、。
物語は、植物を採取して、料理して、まるでキャンプ生活のような舞台設定の中で、展開していく。

土地が開発業者によって、壊されていくことに反対したユージンの祖母。その繋がりでユージンは米谷さんという兵役拒否をした人に接することになる。彼は、米谷さんは、
『・・人間って弱いものだから、集団の中にいるとつい、皆と同じ行動を取ったり、同じように考えがちになる。あそこで、たった一人になって、初めて純粋に僕はどう考えるのか、これからどう生きるのか、って考えられるようになった。そしたら、次にじゃあ、僕たちは、って考えられたんだ。』
と話したらしい。そして、『群れのために滅私奉公というか、自分の命まで簡単に投げ出すことは、アリやハチでもできる。・・・・動物は、人間は、もっと進化した、『群れのため』にできる行動があるはずじゃないかって…』

そして、この登場人物たちはオーストラリア人のマークも含め、お互いの(今ここに居る)理由を理解するようになり、(新しい繋がり)を築いていこうとする。なかなか出てこれないインジャにも呼びかけて。

私たちは、面倒だったり、忙しかったりするので、純粋にこういった関係をのみ追及することはしないが、どこかでこんな気のおけない、必要なときに必要な手助けができるような繋がりを求めているのかもしれない。
コペル君の心理描写が、きわめて丁寧に描かれていると思った。だから、読み手が一緒に成長していけると思う。

読んでいるときは、言葉がすとんと落ちて理解できたのに、まとめるとなると難しいものだ。へんにまとめると、作者の意図を曲解することになりかねないので、このあたりで、置くとする。




ピスタチオ

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  • 作者: 梨木 香歩
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2010/10
  • メディア: 単行本



不思議な羅針盤

不思議な羅針盤

  • 作者: 梨木 香歩
  • 出版社/メーカー: 文化出版局
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  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



ある小さなスズメの記録 人を慰め、愛し、叱った、誇り高きクラレンスの生涯

ある小さなスズメの記録 人を慰め、愛し、叱った、誇り高きクラレンスの生涯

  • 作者: クレア・キップス
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2010/11/10
  • メディア: 単行本



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コメント 4

koji

こんにちは。お久しぶりです。
お読みになりましたか!
ちょっと考えられさせられますよね。
コッコちゃんにたいする、回りの思惑とか・・・

by koji (2012-03-21 15:00) 

whitered

kojiさんへ:お久しぶりです。はい、なかなか考えさせられる物語でした。草花を摘んで、料理を作っている間に様々な人物の生き様が語られますね。非常に精神的な印象の強い物語でした。コッコちゃんとユージンは、熱血先生の自己満足の犠牲になっちゃったんですよね。身につまされるものがありました。
by whitered (2012-03-23 09:02) 

koji

まいどです。こんにちは。
そうですね。ここで、いろいろ議論するのは、間違っていると思います。
申し訳ありません。それでも、あえて申し上げるなら、
例えば、自分の金魚が食料として、提出を余儀なくされた場合、
自分はもう大人なので、川に逃がしたり、池に放したりできます。(たとえ、一人では生きていけないにしても、生き物はその命の限りいきようとします)
少なくとも、大好きな魚を、だれかの大義名分のために差し出さなくてもいいからです。
そして、源氏物語で、奇しくも、北山の尼君が、「生き物を飼う事は罪深いことですよ」といっていますが、
それでも、私は金魚からたくさん愛情を貰っているし、金魚にも愛情を注いでいるつもりです。
それで、思ったのですが、”先生の自己満足”という程度の話だったのでしょうか?
私には純粋に他者への悪意としか思えなくて・・・それが、少年だったユージンには、自分以外の存在に接する機会になったとしても、大きな”怖れ”をあたえてしまったのだと思いました。
あとから、スープにまつわる話など、グロテスクなまでに、人をあざ笑う、悪意が感じられて、小説とはいえ、とてもいやな気持ちになりました。
申し訳ありません、お邪魔して、こんなことを書いてしまって。
whiteredさんにも、いろいろ感想はあると思いますが、勝手に書きたてて、失礼しました。汗
by koji (2012-03-23 10:06) 

whitered

kojiさんへ:再度のコメントありがとうございます。家にこの本がなかったので、再度図書館に行って、借りなおしてきました。
“自己満足の犠牲”と書いたあたり、私も言葉を探してみたのですが、なかなかいい表現が見つかりませんでした。この先生は、少なくとも大多数の子供を念頭において、“命のつながり”を実体験させたいという安易な発想だったのでしょう。ユージンという一人の人間のコッコとの歴史や愛情とは無関係にやってしまったことが、“悪意”につながったのではないかと思います。
ただの生き物に固有の名前がつけられた時点で、それはもう家族や友人という愛情の対象になっているのですよね。
少し前から取沙汰されている“正義”の問題にも関係してくるような気がしますが、“正義”というのは、初めから絶対ではありえない。一つの“正義”ともう一つの“正義”がぶつかり合い、淘汰されたり、統一?されたりするものなのでしょうか。
スープを飲まされて、あとから自分もコッコの命を取る片棒を担がされたことを聞いて、嘔吐する場面は本当に残酷だったと思います。問題なのは、大義名分によって、個人の正義なり、心情なりが抹殺されてしまうことですね。そして、抹殺された事実があったことに気がつかなかったことかもしれませんね。
かつて軍国主義がおおった時代、無数の小さな正義が抹殺されたことを念頭において、梨木さんは書かれたのでしょうね。
そういう意味では、読んですっきりするタイプの小説ではなく、深みにはまっていくタイプの小説でした。
まだまだ、kojiさんのコメントには受けきれませんが、前を向いて歩いていくためにこのあたりで。思考停止ではありませんので。あしからず。
by whitered (2012-03-26 10:14) 

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