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最近の新聞記事から [ニュース]

<その1>
朝日新聞10月19日から『氷河せめてカバーを』

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 すごい時代になりました。一面をかざっていたこの記事は、スイス南東部にあるディアボレッツァ氷河で、今年の春先に敷かれたシートを雪の季節が到来する前に巻き取っている写真つきでした。ここディアボレッツァ氷河では、この10年の間に氷河の4割以上が姿を消したそうです。登山電車を運営する会社が全体の3分の1に当たる約8千平方メートルをシートで覆ったそうです。巻き取る機械や人件費などは、約7万スイスフラン(約630万円)になるそうです。ここはかつては夏スキーが楽しめたところだそうですが、減少する氷河を目の前にして、なんとか復活させようとする苦肉の策なのでしょう。
 こうした動きはヨーロッパ各地で試みられているそうです。ドイツ最高峰ツークシュピッツェでも数年前から行われているそうで、昨年の夏は9千平方メートルの氷河を覆い、およそ3万立方メートルの雪や氷河が解けるのを防ぐことができたのそうです。今年は積雪も多く、シートで覆う面積も6千平方メートルに減ったそうです。
 これらは、すべて観光化された場所であって、それ以外の場所では当然無視されています。

 私は、いくつかの感想をもちました。まず、手仕事のような活動がまがりなりにも成果をあげているので、驚きました。上の写真の作業でもたった7人があたっているにすぎないのです。もっと、大勢の人たちで大規模にやったらもっとたくさんの氷河が救われるのです。ヨーロッパやヒマラヤの氷河も、ひいては全世界の温暖化のスピードをにぶらせる効果があります。一国のみの利益ではなく、世界的な意味が大きいと思います。
 お金が出せる国は、お金を出して、お金が出せない国は、ボランティアを派遣するなど、知恵と工夫を出し合ってほしいものです。働いている大人が一人百円出し合っても、日本なら30億円から50億円くらいの資金になります。『氷河保存世界プロジェクト』をだれか始めてみませんか。

<その2>
朝日新聞10月23日文化欄から『音楽展望』

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 もう一つの記事は、尊敬する音楽評論家の吉田秀和さんの記事です。音楽展望はどうも不定期に記事になっているようなのですが、今回は「映画の思い出」というものでした。この方の文章は、非常に分かりやすく名文だと思います。
四つの段落に分かれていて、
①(前置き)若い頃に見た映画について
②(展開1)昭和初期ころに見た映画の中で、無声映画からトーキーに移ったころ、音楽がさかんに取り入れられた。映画の題名や話の筋は忘れているが、こういう音楽が使われていたということはよく覚えている。挿絵のように挿入されているものや音楽が一つのテーマになっているものでいいのもある。
③(展開2)最近ビデオで≪無伴奏「シャコンヌ」≫を見た。あるヴァイオリニストがシャコンヌを弾くうちにだんだん音楽が研ぎ澄まされていく。次第に常人のセンスからはずれ、迎え入れられた楽団の中でも人々と合奏が出来なくなる。親しんだ女性とも一緒に住めず、去られてしまう。ついにパリの地下道で、シャコンヌを弾くことに没頭するようになる。そのうち警官が中止命令を出し、ヴァイオリンを取り上げ放り投げて壊してしまう。驚愕し絶望するが、「楽器がなくても弾ける」と思い直し、宙に手をかざしシャコンヌを引き出すヴァイオリニスト。その音楽がさまざまなイメージとなって世界的に広がり及んでいく。シャコンヌを聞いているというより、シャコンヌが世界のもろもろのものを一つに束ねているような気になってくる。
④若い頃にドイツ語を習い、覚えたリルケの詩<秋の日>全文。自分にとっての音楽的体験。
という具合です。

 音楽的体験というのは、けっして直接楽器を奏でたり、歌ったりするだけのものではないということ。自然や社会、世界の森羅万象の中で、美しくあるいは激しくあるいは思索的な法則性を体感すること。音声や音色のみならず、言語や動作、イメージまでもがその媒介になりうるということを言っているのだなと思いました。

 ついでながら、≪無伴奏「シャコンヌ」≫のビデオが見たくて、某レンタル屋に探しに行きましたが、置いていませんでした。また、探してみようと思います。

 
無伴奏「シャコンヌ」

無伴奏「シャコンヌ」

  • 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
  • メディア: VHS




バッハ:シャコンヌ

バッハ:シャコンヌ

  • アーティスト: ハーン(ヒラリー),バッハ
  • 出版社/メーカー: ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
  • 発売日: 2006/11/22
  • メディア: CD



バッハ:シャコンヌ

バッハ:シャコンヌ

  • アーティスト: ハーン(ヒラリー),バッハ
  • 出版社/メーカー: ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
  • 発売日: 2004/11/17
  • メディア: CD



光母子殺害事件 [ニュース]

家族に春は来たか?

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 昨日、9年前に起きた山口県光市の母子殺害事件の差し戻し控訴審判の判決が出た。どんな判決が出るのか、気になっていた。
広島高等裁判所は、ずばり死刑判決を出した。私はどちらかというと、死刑は廃止したほうがよいと思っているほうだが、この事件に関しては仕方がないのではと思えるふしがあった。
 初めの裁判で、元少年が犯行事実を認めて謝罪をしておきながら、二審では「殺意はなかった。母親に甘えたい気持ちであったのに、拒否され、かっとなった。」という供述をしている。それを紙面で読んだ時、なんと甘ったれた人間だろうと思った。18歳1ヶ月なら、もっともっと成熟した考えや責任をもってよいし、持つべきだ。たぶん、生育暦が精神形成に影響しているのであろうが、だからといって、何の罪もない親子が、ある日突然、一人の人間のきまぐれによって、尊い命を絶たれてよいはずはない。本村さんにとっては、死よりもつらい日々が始まったわけだ。9年間もよく、耐え抜かれたと思う。

 9年前のインタビューでは、本村さんは憎しみと悲しみをあらわに「かたきをとってやりたい。」と言っていた。江戸時代なら自分であだ討ちにも行けただろう。それができず、法にのっとって、耐えに耐えて今回の判決にのぞまれたことだろう。
「・・・今回の裁判所の見解は極めてまっとうだと思うし、正しい判決が下されたと思っています。」としながらも、「・・・遺族にとっては、報われる思いはあるが、被告と妻と娘の三人の命が奪われることになった。これは社会にとって不利益なこと」と話された。
9年の歳月は、極限状況にたたされた本村さんにとって、重く長い年月だったろう。そして、被告の命さえ社会の損失だと言われたことについて、以前のただ憎いといった感情から、ずいぶん深みのある思想性を備えてこられたなあと眼を見張る思いがする。

 そして、「これで終わるのでなく、どうすれば加害者も被害者も出ない平和で安全な社会を作れるのかということを考える契機になれば。」とおっしゃっている。ほんとにすごい人だ。それだけ妻や娘を愛し、その死に向き合ってこられたということだ。私自身、なぜこの事件に関心をむけるかというと、自分の息子が結婚し、子どもが産まれたことも関係がある。つまり、イマジネーションが働くのだ。自分の息子がこのような立場に置かれたらどうするか。なんとも切なくはがゆいことだろう。そして、元少年の父親もずいぶん辛い思いをされていることだろう。そして、後悔も。

 こんな悲しいことは、終わりにすることができないものだろうか。親子の関係ももっともっと見直されないといけないだろうし、世の中も不幸な人に関心をもつようにならなくてはと思う。自分は自分だけのものではない。家族の一員であるし、社会の一員でもある。もちろんどういう社会をよしとするかは別の問題であるけど。

 判決は、一つの節目になったけれど、本村さんの妻子は二度ともどらない。こんな事件が起こらないようになることが、天国の母子にとっても永遠の命につながるのではなかろうか。

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タグ:光母子殺害
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