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日本のきもの+(ぷらす) [本]

安くて中味が濃い本

 昨年の冬でしたが、あるデパートの和装小物売り場で、足袋を購入したときにいただいたミニコミ誌、『日本のきもの+ぷらす』no.41号。読み返していて、これはいい本だ、中味が濃いなと思いました。
きもの関連でよく読む雑誌は、『きものサロン』『美しいキモノ』『七緒』『京都できもの』、呉服屋さんから送られてくる『和煦』などです。前者のぶあつい女性雑誌は、美しいきものの写真が満載の贅沢な本です。季刊とはいえ2000円ほどもする高価な雑誌です。以前はよく買っていましたが、最近は出費がかさむので買わないようにしています。そのかわり『七緒』は、出るたびに購入するようになりました。こちらは、少しやすいし、きものの手入れの仕方だとか、着るときの工夫だとか実用的な記事が載っています。『京都できもの』も一時よく買っていましたが、最近見かけません。『和煦』は、愛知県にある橘一(きついつ)という悉皆屋さんが出しているミニコミ誌で、30ページほどの冊子ですが、きものの似合いそうな町の見どころや食べ物屋さんの紹介が載っています。これは、無料で手に入るので楽しみにしています。

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 そして、『日本のきもの+(ぷらす)』という本。編集後記をみれば、大阪市に事務所があるようなのです。no.41の特集は<十日町のきもの>でした。奈良時代から白布を織ってきた歴史の移り変わり、織物主体の生産から染物をこなす産地への変貌、情報収集力を生かして一般の人々の需要のあるきもの作りなど、少し専門的な知識を盛り込んだ読み応えのある本でした。そのほか(ぷらす劇場)というコーナーもあり、きものに関係のある映画やドラマなどが紹介してあります。たとえばNHKの木曜時代劇『陽炎の辻』の紹介などです。
 感心した私は、感想文も合わせて、さっそくバックナンバーを事務所の方へ注文しました。先週の木曜日、全部で七冊注文しました。そして、今日届きました。代表の清田さんじきじきに送っていただきましたが、なんと迅速な対応でしょうか。私は、またまた感心してしまいました。

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 バックナンバーの本と一緒に、お手紙も入っていました。清田さんは『着る立場できものを考える会』というのを主催しておられるのですが、一度来てみませんかというお誘いも書いてありました。
 近い将来、ぜったいに行ってみようと思っています。
 バックナンバーの本七冊。当分この方面の知識欲は満たされることでしょう。楽しみ、楽しみ。 

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二冊目のマイブック [本]

やっとこさ二冊目を

 おととしの六月に、自分のブログを初めて本にしました。ソネブロの管理ページにちょこっと載っているMyBooks.jpにお願いしての製本でした。自分の記録として子ども二人に伝えたいということと、自分があのときどうしたどこへ行ったという証(思い出)になると思って、二冊作りました。記念すべき第1巻は2007年3月29日から7月31日まで、48日分(毎日ブログを書いていないので)193ページで、料金は13379円。一冊あたり6690円くらいですね。高く感じるか、安く感じるかは個人個人で違ってくると思います。私には高いけれど、それだけの値打ちはあると思います。まあもっと安くて、便利な製本屋さんが現れたら別ですが・・・

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 はやく二冊目に取り掛からなくてはと思っていましたが、今年の一月に入ってしまいました。じっくりと編集するには、時間がかかるため、二日ほど予定が入っていない日に作業を始めました。前回、改行や写真を減らすなどをあまりしなかったので、ページのロスがあったように思ったから、今回は何回でも編集しなおしをして納得のいくようにしようと思っていたのです。PDFファイル作成という作業があって、何日から何日までの記事を本にすることを申告します。すると、本のページに収まった形でファイルが送られてくるのです。それをチェックして、気に入らないところは、ブログの管理ページで行って再保存し、またファイルを作成するという作業をくり返し、納得がいった段階で注文をします。料金は1ページあたりの値段で計算されます。今回の「そぞろ NO、2」は、4回くらいやり直しをやったでしょうか。二~三日かけてじっくりと編集にかかりました。

 今回のNO,2は、2007年8月2日分から2007年12月4日分まで40日分で、205ページ分の記事をまとめることになり、料金は13811円でした。二冊作ったので、一冊はおよそ6905円ですかね。表紙は色の違うのにしました。しかし、しかしです。このぶんで行くと、残りの今日までの記事141日分をまた本にしようと思えば、あと3冊は作らないといけません。私としましては、写真はもちろんのこと、コメントしていただいた文章も全部残したいので、日々ブログを更新しながら本を作成するとなると、おそらくあと5冊や6冊は作るハメになるでしょう。まあいいです。ブログを書くのは、自分が元気でいられている証拠、本を作るのもそのごほうびということにしておきましょう。

 けれど、これから書いていくブログは、思い切った文章の精選、短く要領よく、かつ面白く。(ええ~そんなこと可能?)それと写真のサイズを小さくする。あとで編集の際に、前のブログ記事を引っ張り出して、写真のサイズを小さくするのはとてもややこしいと分かったからです。だから、本を作ることを念頭に置いて、最初から画像を小さくしておきます。
以上を心がけていきたいと思っていま~す。


齋藤式 自分史の書き方―いますぐ書きたくなる

齋藤式 自分史の書き方―いますぐ書きたくなる

  • 作者: 齋藤 孝
  • 出版社/メーカー: どりむ社
  • 発売日: 2007/11
  • メディア: 単行本



脳を活性化する自分史年表 平成版

脳を活性化する自分史年表 平成版

  • 作者: 藤田 敬治
  • 出版社/メーカー: 出窓社
  • 発売日: 2008/12
  • メディア: 単行本



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二巻目を借りに行ったが・・・ [本]

図書館へ行ったのだけど

 最近はなるべく時間のあるときは、図書館へ行く事にしています。
年末に借りていた本をやっとこさ読み終え、15日に返しに行ったのですが、休館日でした。なんで?巷では15日はれっきとした営業日なんですよ。とにかく返すことは出来たので、郵便受けのような返却箱にスルー。16日に再度、図書館に行って見ましたが、目的の本は残念ながら貸し出し中。これだから、図書館はちょっとねと言いたいのですが、ただで見るのだからこれくらいは我慢の子でないとだめかと思い直し、他の本を二冊借りてきました。

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 今回借りていた本は、浅田次郎の『中原の虹』第一巻と『歌舞伎用語辞典』の二冊でした。『中原の虹』は、前回読んだ『蒼穹の昴』の姉妹編でした。盛り上げ方は、『蒼穹・・』の方が迫力がありました。先に読んだからかも知れません。
 『中原の虹』というのは、日中戦争前夜、満州の馬賊である(張作霖)を主人公に描いた冒険活劇小説です。たしか満州鉄道を爆破したと濡れ衣を着せられ、それをきっかけにして満州事変が始まっていったと習いましたが。読んでいると、『蒼穹の昴』に登場した(李春雲=チュンル【春児】)の行方不明のお兄さんの(李春雷=リイ・チュンレイ)がもう一人の主役です。あと、西太后やら(袁世凱=ユアン・シイカイ)などが出てきます。その頃の馬賊というのは、第二・第三の軍隊として恐れられていたようです。満鉄が盗賊に襲われたことで乗客を救出しに、(張作霖=チャン・ヅォリン)が駆けつけたところで、一巻目は終わりました。

 ところで、私が小さい頃に『夕日と拳銃』というやはり馬賊のテレビドラマが流行ったような気がするのですが。(古う~。年が知れそうです。)広い大草原に真っ赤な夕日が落ちるシーンを覚えているのです。たしか工藤堅太郎という俳優さんが、出ていたと思います。日本軍を脱出して馬賊になったような設定だったと思うのですが。子どもながらにワクワクしてテレビにかじりついていました。

 まあ、第二巻から読む人があってもおかしくはないですね。今度は、二巻から四巻まで借り締めておくことにしましょう。代わりに借りたのは、乙川優三郎の時代小説『露の玉垣』と、松山猛編の『日本の名随筆 別巻 87 装丁』を借りました。乙川優三郎の小説は、5~6年前にマイブームを起こした作家で半分以上は読んでいます。新しいのは読んでいないのが多いので借りてみました。松山猛編の『・・・装丁』は、面白そうです。チラッと読んだところ、まず谷崎潤一郎の文章と志賀直哉のが出ていました。二人とも、千代紙みたいな装丁は困るとのことが、書いてありましたが、志賀直哉にいたっては、装丁はあくまで従であるからして、主である文章の印税をもっとはずめよというようなことが書いてありました。
 作家、装丁家、画家の立場が微妙に食い違っているのもおかしいなと思いました。それにしても作品社の『日本の名随筆』100巻を数えるのですね。そして、別巻が80巻。すごいですね。粋な企画です。たぶんあまり売れていないと思いますが、図書館ではさすがに置いてそうな本です。図書館もたまに行ってみるのもいいですね。



中原の虹 第一巻

中原の虹 第一巻

  • 作者: 浅田 次郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2006/09/25
  • メディア: 単行本



中原の虹 第二巻

中原の虹 第二巻

  • 作者: 浅田 次郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2006/11/02
  • メディア: 単行本



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プリズンホテル 夏・秋・冬 [本]

浅田次郎の広い世界

 昨年「蒼穹の昴」を読んだとき、こんなに面白い本は最近お眼にかかったことがないと思っていました。その作者である浅田次郎の本で、「プリズンホテル 夏」の文庫本を買い求め、読み始めました。正直言って、これがあの「蒼穹の昴」を書いた浅田次郎の本かと一瞬疑いました。
 「蒼穹の昴」は中国清朝末期の歴史をふまえた上での冒険小説で、友だちの言葉を借りると、(血湧き、肉踊る)読みすすめるにつれ、どきどきはらはらさせられるスケールの大きい小説でした。

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 「プリズンホテル 夏」は、初めもう読むの止めようかとちゅうちょさせられました。というのは、主人公が任侠シリーズで人気が出た小説家という設定なのですが、生い立ちが不幸というか、もやの中につつまれたような設定になっていて、なんとも滅茶苦茶な性格の持ち主なのです。お母さんがわりをしてきた富江という女性に悪態はつくし、無理難題を押し付けるし、清子という恋人兼秘書の女性には、暴力三昧でえらそうにするわで、あまり好感が持てなかったこともあります。
 しかし、読みすすめるうちに、次第に作者浅田次郎の思惑にはまってしまったというか、面白さの中に引きずり込まれていくようでした。
 プリズンホテルこと「奥湯元あじさいホテル」のオーナーは主人公木戸孝太郎のおじさんで特攻崩れのやくざの顔役。従業員たちも、木戸一家の徒弟たちとタガログ語を話す外国から出稼ぎに来た仲居たち。ホテルの板長は、前の自殺したオーナーの時代からの腕のいい料理人。そこへ一流ホテルから左遷された花沢支配人と服部シェフ。それぞれ同じホテルから要領のいい重役たちの犠牲になって、奥湯元あじさいホテルに来ているのです。
 お客も、任侠の世界の人たちが多く、というのも体に刺青をした人は、一般の旅館や温泉ではきらわれものです。だから、オーナーの木戸仲蔵がかれらが落ち着いてくつろげるようなホテルを作ろうと、左前になった温泉ホテルを買い取ったのです。ところが、たまにかたぎのお客が知らずに訪れます。「・・・夏」では、孝太郎と清子のほかに、定年退職した会社の重役夫妻、倒産のうきめにあい家族心中をしに来た工場主一家、これは任侠の世界の人ですが、刑務所帰りのヒットマン(清子の元情夫)たちが登場します。
 それがからみ合う人間模様の中で、悪いやつと思っていた人間が、じつに人情にあふれていたり、純粋だったりして、読み手の意識をひっくり返してしまうのです。そして、読み終えたあと、不思議な満足感に浸されてしまいました。

 結局、「プリズンホテル 秋」「プリズンホテル冬」と続けて読んでしまいました。そして、回を重ねる度にだんだん迫力が出てきて、面白みが増すのです。「・・・秋」では、プリズンホテルでやくざの大曽根一家と警察の団体旅行がかち合います。やくざの方が礼儀正しく、警察の団体の方が、はちゃめちゃな無礼講で過ごす様子が描かれ、さもありなんと笑いを止めることができませんでした。
 「プリズンホテル 冬」は、冬山の一角にあるあじさいホテルが描かれ、きりっとした格調の高ささえ感じられる巻でした。死にに来た少年、大神楽山をめざす熟練登山家、安楽死事件の裁判を控えた医者、救命病棟で采配をふるう古株のナース阿部マリア(この女の人は『血まみれのマリア』といって、浅田の他の小説にも登場する)、大雪の積もったホテル周辺で、いのちとは何ぞやの丁々発止のやりとりが繰り広げられます。そして、なんとも冴えない主人公も変革を迫られる出来事が起こります。小説に出てくる「いつかある日」の歌詞が効果的に入っていました。
 あとは「プリズンホテル 春」を残すのみですが、ちょっと事情があり、間をあけてから読むことにします。しかし、浅田次郎という作家はなんと広い世界をかかえた人だなと思います。「鉄道員 (ポッポや)」「壬生義士伝」「オリオン座からの招待状」「憑神」・・・ヒット作が続々と。歴史物もあれば、シリアスな社会物も、この本のような任侠の世界を舞台にした物。まさに進化する小説家です。

 今日、浅田次郎をネットのウィキペディアで調べていたら、初期の頃は『悪党小説』を書いていたと書いてありました。そして、『悪党小説』というのは、ピカレスク小説と言って、外国でもはやった小説の形態だそうです。日本人の作家で言えば、大藪春彦や馳星周なんかが書いているのが、それに当たるのだそうです。アニメでいえば、『ルパン三世』などもそれに入るそうです。腐りきった世の中やどうしようもない権力に対抗するとき、毒には毒をもって制すというこういう形態の小説が有効なのでしょうか。
 「プリズンホテル」は、その形態を引き継ぎながらも、次の一歩を踏み出したものであると思います。組織や社会通念よりも、まず人間の関係性や根源的なやさしさを追及しようとしているのではと思いました。たぶん「・・・春」では、主人公の木戸孝太郎が仮面をはぎとって、成長した姿で登場するのではないかと期待しています。


血まみれのマリア―きんぴか〈2〉 (光文社文庫)

血まみれのマリア―きんぴか〈2〉 (光文社文庫)

  • 作者: 浅田 次郎
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 1999/08
  • メディア: 文庫



プリズンホテル〈1〉夏 (集英社文庫)

プリズンホテル〈1〉夏 (集英社文庫)

  • 作者: 浅田 次郎
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2001/06
  • メディア: 文庫



プリズンホテル〈2〉秋 (集英社文庫)

プリズンホテル〈2〉秋 (集英社文庫)

  • 作者: 浅田 次郎
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2001/07
  • メディア: 文庫



プリズンホテル〈3〉冬 (集英社文庫)

プリズンホテル〈3〉冬 (集英社文庫)

  • 作者: 浅田 次郎
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2001/09
  • メディア: 文庫



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明恵上人 [本]

紀州の人

 お盆に、和歌山の栖原というところに行くので、少し前からネットでいろいろ調べていました。栖原は青春時代、ヨットの練習をしたり、魚つりを楽しんだりしたところです。熊野古道が通っていることは、知っていたのですが、それとは別のあることが分かったのです。
栖原には、『施無畏寺』というお寺があるのですが、鎌倉初期、従兄弟の方が明恵上人に造ってあげられたのだそうです。お寺の上の白上という山のあたりには、明恵上人が修行をされたという場所もあるそうです。
 そこまでが、ネットで分かったところです。その後、以前古本屋さんで購入した白洲正子さんの『明恵上人』を読みました。
目次では、(樹上座禅)(薬師丸)(仏眼仏母)(紀州遺跡)(高尾から栂尾へ)(あるべきようわ)(栂尾の上人)(華厳縁起)(夢の記)(あとがき)となっています。
 白洲さんは、だれかが言ってるように、まさに『韋駄天のお正』でした。あんな片田舎に、まさか行ってはおられないだろうと思っていましたが、行っておられるんですねー。行動力に感心しました。
 さて、明恵上人のことですが、幼名を薬師丸と言われ、1173年に紀州有田郡石垣庄吉原というところで生まれました。父は平重国、母は湯浅宗重の娘だそうで、どちらかというと源氏方にくみする立場の方だそうです。もっともその頃はまだ源氏や平家といっても、流動的で、だんだん対立が深まるにつれ、家庭の事情もけわしくなっていったようです。
 八歳のときに、母をなくし、同じ年にいくさで父を亡くします。そのため、叔父さんの上覚をたよって、高尾に入山したそうです。
荒法師で有名な文覚が、明恵を気に入って弟子にしたということですが、あまり精神的な影響は受けていないようです。

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そして、都での修行に限界を感じ、二十三歳の時に紀州の白上の峰に移っています。明恵上人はよく夢を見る人で、夢のコントロールさえできたのではないかと思われるふしがあります。その白上の峰での修行中でも文殊菩薩の夢を見られたということです。白上の峰からは、栖原の海がよく見わたせるのです。明恵上人は、ときどき漁師の若者をさそって、栖原の海に浮かぶ苅藻島、鷹島、黒島といった島々に渡って、小石を拾ったり、タツノオトシゴの干からびたのを大事そうに持ち帰っています。
 私は、明恵上人にしたしみを持ちました。修行中に眼に入ってくる美しい島々に行ってみたいとか、そこで拾った小石を宝物のように大事に持ち帰るという行為は、好奇心旺盛な若者だったらだれもがそうすると思います。自然の中でさとりを啓いた明恵上人ならではの逸話のように思えます。

 本の中の『明恵上人』はまだまだ続きますが、今回の栖原行きのデータとしては十分です。
私も明恵上人の後を追って、島巡りをすることにしましょう。



明恵上人

明恵上人

  • 作者: 白洲 正子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1999/11
  • メディア: 単行本



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ブログを本に [本]

本にしました!

 自分のブログを本にまとめてみました。管理ページの右下にあるMyBooks.jpにお願いしました。
このブログはいつか削除しないといけないだろうし、なにかあったときに消えてしまうかもしれないので、以前から文面だけでもコピーしてワード文書に保存していたのです。最近、「あなたのブログを本にしませんか」というキャッチコピーが眼に入り、いっそのことお願いしようかと思ったのです。決断すると早いのが、私のとりえでもあります。隠岐へ行く数日前に製本をお願いしました。
 当初、去年の分だけまとめようと思っていたのですが、膨大なページ数になるので、とりあえず5ヶ月分、198ページ分を第一巻として発注しました。隠岐から帰った次の日に届きました。注文してから十日たらずで届きました。うれしいものですね。おもわず「ヤッター。」

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 私の場合は2冊たのみました。私の遺稿集がわりに、のちのち子ども二人に残すためです。二冊分と送料込みで、13,379円でした。一冊あたり、6690円くらいでしょうか。高いかどうかはその人その人の価値判断によりますよね。高いけど、自分にとっては、それだけの価値があるとしかいえません。表紙は、たくさんの見本から選べます。なるべくシンプルで中味を規定しないものを選びました。
 ただし、編集の段階で、もう少し時間をかけて、PDF(見本)の作成をしても良かったかなと思います。こちらがいつからいつまでと指定すると、ほどなく(数分~十数分)でPDFが届きます。毎回作成オーダー番号というのがついてて、満足がいくPDFを確認し、注文したらいいのです。あとで調べてみると、それに4日間もついやしている人もいるくらいです。私は、せっかちなので、四回ほど検討して、発注してしまいました。だから、一枚一枚中味のページの検討をしていませんでした。だから、ここを縮めたら、余白がなしでいけたなと思うページが何枚かありました。

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 はじめて本にしたのだから、反省点はあります。第二巻はこれを生かしましょう。
さっそく、友だち二人に見せました。忙しくてブログを見てくれない友だちも「これいいわあ、記念になるね。」と言ってくれました。これからは、文章や写真の腕をもっと磨いて、満足できるブログに、本にしたいです。

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後鳥羽院 [本]

丸谷才一の『後鳥羽院』

  <人もをし 人もうらめし あぢきなく 世を思うゆゑに 物思う身は>

 ごぞんじ、藤原定家が編んだ百人一首第99番、後鳥羽院の歌である。私は百人一首のなかでも、この歌はあまり好きな歌ではなかった。なにか、恨みがましい感じがするとともに、読み札に描かれた院のすがたが、なにかうらぶれたように描いてあったためかもしれない。この『後鳥羽院』を読んで、その考えが180度変わった。

 これを読んだのは、2005年12月から2006年の1月にかけてのことだ。2005年は古今集1100年、新古今集800年にあたる年で、たまたま京都国立博物館にその特別展を見に行った。さまざまな資料を見ていて、新古今集が成立するあたりは、鎌倉幕府が台頭した時期と合致している。そして承久の乱の立役者である後鳥羽院の勅撰で、定家らが選者となり、新古今集が成立したことが分かった。私は鎌倉時代というと、源頼朝や義経の華々しい政治や戦の歴史しか思い浮かばなかったが、和歌を中心とする日本文化の最後の花が咲いた時代だったことを思い知らされた。その帰り、本屋に立ち寄って、目に飛び込んできたのが、この丸谷才一さんの『後鳥羽院』であった。

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 丸谷さんは、後鳥羽院に特別の肩入れをする。ちょうど塩野七生がチェーザレ・ボルジアに肩入れしたように。そして、丸谷さんは、しばしばその作品の中で、後鳥羽院や隠岐の島を登場させる。『笹まくら』でも登場するし、『すばる歌仙』でもふれられていたと記憶している。
後鳥羽院の歌は、定家のように技巧的な繊細なものではないけれど、たけが高く、帝王ぶりが優れていると評している。

 たとえば、
<駒なめて うちいでの浜を みわたせば 朝日にさわぐ しがの浦波>

 朝日というのは、暗に朝日将軍と呼ばれた木曽義仲をふまえている。この歌が作られた年の十五年前に、朝日がのぼるように立ち上がって、斬り死にをした木曽義仲のいくさを思い起こしている。後鳥羽院21歳の歌である。若い彼の胸のうちには、しがのさざなみが立つようにざわざわとした世相と義憤のようなものがあったのではないかと思える。みわたせばという言葉には、帝王がおこなう国見のありさまにも似ていると。以下、私の好きな和歌を書いてみる。

<見わたせば 山もと霞む 水無瀬川 夕べは秋と 何思いけん>

 後鳥羽院は水無瀬宮を造営して、和歌所をもうけ、定家や家高を招いて、よく歌会をしたという。男山八幡宮が見える大山崎に近いあたりである。今は水無瀬神社しか残っていないが、名水の地でもある。丸谷さんは、新古今和歌集の代表的な秀歌だと言っている。そして、この歌も国見の歌であると共に、藤原定家の(見わたせば 花ももみじもなかりけり 浦のとまやの 秋の夕暮れ)や素性法師の春の歌にも通じる風景美をたたえるうたでもある。

<契りあれば うれしきかかる 折にあひぬ 忘るな神も 行く末の空>

 この歌は、好きな歌ではないが、1206年の二月に焼失した熊野本宮が、十二月に遷宮した機会におとずれた時の御歌である。熊野御行を生涯に31回もおこなった後鳥羽院が、11回目で27歳の時に遷宮に立ち会えたことの光栄をすなおに喜んでいる歌である。熊野はずいぶん京都から遠いと思われるが、若いときはよほど元気だったのだろう。31歳のときは一年間で4回もおこなっている。

<橋姫の 片敷き衣 さむしろに 待つ夜むなしき 宇治の曙>

 橋姫とは、そのころ流行した和歌の題材で、語源は祖先が街道の橋のたもとに祀っていた美しい女神 (柳田国男)らしいが、『源氏物語』の宇治十帖に出てくる姫君もふまえているらしい。また、当時は家の結びつきの呈を色濃くしていた結婚に対し、自由な王朝風の妻問い婚をなつかしんだ延長として、白拍子や遊女に対するあこがれを橋姫にだぶらせたとの記述があった。

 そして、問題の承久の変である。後鳥羽院42歳のときに北条義時追討の院宣をくだす。その年のうちに、幕府軍は京都を制圧する。
後鳥羽院は、隠岐の島に配流となる。

<わたつうみの 波の花をば 染めかねて 八十島とほく 雲ぞしぐるる>

 隠岐での院の生活ぶりは知る由もないが、あいかわらず和歌の創作をつづけていたようだ。創作した和歌を都の藤原家隆に送って、判を求めた。承久の変の前から、藤原定家とはいろいろなまさつが生じて不仲になっている。定家の方は、源実朝と仲良くしていて、和歌の本を献上したりしている。自分のパトロンとしての後鳥羽を見限っていたのかもしれない。しかし、院は自分が作らせた新古今集を隠岐の地で改編(隠岐本)するなど、配所の無聊を和歌に求める。

<我こそは 新じま守りよ 沖の海の あらき波かぜ 心してふけ>

 この歌は、自分の用で隠岐の地に来た家来が、都に帰るときに、海が荒れ狂った。自分はかつて帝王であったが、今はこの地の島守りとしてやってきた。海の波風よ心して吹くんだぞと呼びかけている歌である。私はこの歌が一番好きだ。自分の境遇にも負けない帝王ぶりがおおらかで、神話的なスケールを持つ。こんな大きなスケールの歌を詠んだ人を、私はお目にかかったことがない。まだまだ、『後鳥羽院』の本について書きたいが、今回は終わりにする。

 今週の木曜日、隠岐の島に行く。だから、もう一度この本をひもといたわけだが、そこで後鳥羽院が実感した島の風景や、暮らしている人たちを自分の眼で見てきたい。


後鳥羽院 第二版

後鳥羽院 第二版

  • 作者: 丸谷 才一
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2004/09/28
  • メディア: 単行本



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塩野七生の本<1> [本]

チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷

 塩野七生の本を読んだのは、これで二冊目である。普通は『ルネッサンスの女たち』から読んだ後に、『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』を読みたくなるのだそうだが、私の場合は『ルネッサンスとは何であったのか』を読んでから、『チェーザレ・・・』を読むことに。
本当は、『ルネッサンス・・・』から、『海の都の物語』を読みたくて探したのだが、見つからなかった。それで、『チェーザレ・・・』を先に読むことになった。

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 そもそも『ルネッサンスとは何だったのか』を読むにいたったのは、東京の国立西洋博物館で「ウルビーノのビーナス展」を観てからである。それまでも、『ルネッサンス』には興味があったが、展覧会を見てから改めて、『ルネッサンス』を追求したくなった。
 中世のキリスト教全盛時代からの脱却、人間による人間のための文化創造が、なぜイタリアにおいて真っ先に花開いたのか。そして、始めにフィレンツェで、そしてローマで、その後ヴェネチアやグレーヴェで飛び火のように起こった『ルネッサンス』がなぜ起こったのか、非常に平明で、説得力のある文章でよく分かった。

 『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』は、三つの構成からなっている。第1部 緋衣(ヒイ) 第2部 剣 第3部 流星 でなんとなく、題を読めば、チェーザレの運命が分かってくる。
 この本の形式は、解説者の沢木耕太郎氏の言葉を借りると、(歴史でもなく、伝記でもなく、小説でもなく、同時にそのすべてでもある)という独特の塩野スタイルを持つ。多くの歴史学者の書物に目を通し、しかもとらわれることなく、自分の素直な問題意識から出発しているので、読み進めるうちに塩野さんの世界に同化している自分を見出してしまう。

 第1部 緋衣(ヒイ)
  
  いうまでもなく緋衣(ヒイ)とは聖職者の、ここでは枢機卿の衣装である。父のロドリーゴ・ボルジアが1492年に新法王アレッサンドロ六世として、選出されたのち、チェーザレは枢機卿に任命される。法王の庶子として扱われたチェーザレが任命されるということは、多くの反感を覚悟の上のことであったらしい。当時まだ十八歳になったばかりで、まだ聖職者としてはほど遠いものがあったが、新法王は強力な任命権を行使してまでも、自分の意に沿う枢機卿を一人でも多く傍に置くことが必要だった。
 その頃、フランス王のシャルル八世がイタリア侵入を狙って、まずナポリに目をつけた。法王は自分の息子ホフレをナポリ王の娘と結婚させ、反フランス色を濃くしていく。しかしながら、よく訓練されたフランスの大軍の前に、ローマ近辺の城はつぎつぎに無血入場を強いられることになり、ついにローマにフランス王を迎えることになってしまった。ところが、まだ法王としての権威が通用したのか、シャルル八世は、招かれた法王宮の中で正装で身をととのえたアレッサンドロ六世の前に跪いて、「・・私は、キリスト十二使徒の代理者であられる法王猊下に、服従と忠誠を再び捧げにまいりました。私の祖先であるフランスの王たちが、かつて捧げたと同じように。」と言ってしまうのだ。シャルル八世が望んだ、ナポリ王継承権も、十字軍遠征計画も、教会を改革するための宗教会議もすべて認めてもらわずに。チェーザレは人質としてシャルルに同行するも、途中で逃げてしまう。
 このころ、法王はフランス軍にしたいようにされたローマを守るべく、教会軍を充実するという必要に迫られ、三男であるガンディア公のホアンを総司令官に据えた。この弟ホアンは、いずれ暗殺されることになる。その首謀者が兄チェーザレであるかのような記述がある。法王の後継者として期待されたが、この狩りの好きな行動派のチェーザレにとっては、自分の野心が僧職では満足できないものがあった。
 そして、時代の必然によって、弟に成り代わって、教会軍の総司令官としての地位、さらには新しいフランス王ルイ十二世との交渉で公爵の身分と財力を得るのだ。

 第2部 剣

  本の前書きにチェーザレ・ボルジアの剣の記述がある。31歳という若さで死んだ、多くを語ろうとしなかった野望の持ち主が、自分の野望を古代風の寓意で表したのがこの剣であるという。金箔を貼り、彫金と宝石で飾ったこの剣には、柄の部分にボルジア家の紋章の赤い雄牛が彫られ、ヴァレンティーノ枢機卿チェーザレ・ボルジアの銘が刻まれている。そして、その刀身部分の鍔に近いあたり裏表に象徴的な四つの図がほどこされているらしい。まず、祭壇の上に神格化された雄牛、そして古代ローマの将軍カエサルの言葉、二面にはルビコン河が彫られ、「賽は投げられた」というカエサルの言葉、裏面にはカエサルの凱旋の図と「信頼は武器に勝る」の言葉、第四面には崩れた円柱の上に地球、それを抱く大鷲と鹿、下では平和を喜ぶ踊りの図。チェーザレが18~22歳ころの持ちものとされている。
 この章では、戦いに次ぐ戦いの巻である。始めはフランスの力を頼りながら徐々に力をつけて、ローマ周辺の国々を回復させて行く。それは、戦力だけではない考え抜かれた知略と、先手を打って暗躍する行動がチェーザレの名声を高めていく。手に入れた国家の都市機能を高めるために、レオナルド・ダ・ヴィンチを重用する。フィレンツェの大使マキアヴェッリとの交流も描かれ、きらめくルネサンスの舞台をかけめぐる。フランスとスペイン、そしてフィレンツェとヴェネツァと駆け引きと攻防戦が繰り広げられる。血湧き肉踊る場面である。

 第2部 流星

  サブタイトルからも分かるように、没落は父法王の死から始まっていく。同時にそのころ流行ったマラリアが父にもチェーザレにも襲い掛かる。チェーザレの闘病中に父が亡くなる。新法王であるピオ三世も二十六日間の在位で世を去る。そして次の法王ジュリオ二世がチェーザレと取引したにもかかわらず、過去に痛めつけられた経験を根にもって、チェーザレを追い込む役目をする。病気が癒えたチェーザレは、その後もロマーニャなどの教会領を回復する目的で、出兵するもまたしてもジュリオ二世の追っ手とスペイン王の手のものに捕まってしまう。幽閉されたチェザーレは高い塔から一本の綱で脱出をはかる。そしてナヴァーラの国にたどりつき、最後の戦いに出向くことになるのだ。
 最後の戦い方は、かなり悲愴な描写だ。敵の中にたった12騎で飛び込み、討ち死にをするあたりは、平家物語か義経の最後をほうふつとさせる。
塩野さんは、かなりのチェーザレ・ボルジアに対してかなりの入れ込み様で、それが読み手にも伝わってきて、なんとなくこちらもチェーザレという人は魅力的な人だったんだなあと思わされる。マキアベッリにしてもその『君主論』にこう書いている。

≪たとえば、チェーザレ・ボルジアは、残酷な人物と見られていた。しかし、この残酷さがロマーニャの秩序を回復し、この地方を統一し、平和と忠誠を守らせる結果となったのである。とすると、よく考えれば、フィレンツェ市民が、冷酷非道の悪名を避けようとして、ついにピストイアの崩壊に腕をこまねいていたのに較べれば、ボルジアのほうがずっと憐れみぶかかったことが知れる≫

 私は、沢木氏が言っているように、塩野さんの文章からは、価値からの自由さというところからくる、とてつもない寛容さと、それと裏腹の尖鋭な戦闘性を感じ取ることができるとしているが、おおいに賛成である。すべての既成の価値観から解き放たれてこそ、自由でおおらかな歴史観を持つことができると思う。宗教を利用して領土を拡大しようとした十字軍遠征でもなく、ボルジア家の存続といった使命感でもなく、純粋に自分の野望から戦いに挑んだチェーザレに共感を覚えた塩野さんの意図がよく分かった。そして、その野望というのは<イタリアの統一>を夢見ることではなかったのかと思う。
 私は、チェーザレ・ボルジアの映画があればいいなあと思いながら読んだ。チェーザレにはジョニー・ディップがよいかも。従者のドン・ミケロットはやさしげでチェーザレよりもっと平気で残忍なことをしてもケロッとしてるような男。ルクレッツァにはスカーレット・ヨハンソンがいいかな。男勝りのカテリーナには、アンジェリーナ・ジョリーかななんて勝手に配役をして、楽しみながら読んだ。

 
ルネサンスとは何であったのか (新潮文庫 し 12-31)

ルネサンスとは何であったのか (新潮文庫 し 12-31)

  • 作者: 塩野 七生
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2008/03
  • メディア: 文庫





海の都の物語―ヴェネツィア共和国の一千年〈上〉 (塩野七生ルネサンス著作集)

海の都の物語―ヴェネツィア共和国の一千年〈上〉 (塩野七生ルネサンス著作集)

  • 作者: 塩野 七生
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2001/08
  • メディア: 単行本



海の都の物語―ヴェネツィア共和国の一千年〈下〉 (塩野七生ルネサンス著作集)

海の都の物語―ヴェネツィア共和国の一千年〈下〉 (塩野七生ルネサンス著作集)

  • 作者: 塩野 七生
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2001/08
  • メディア: 単行本



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『米原万理の「愛の法則」』 [本]

すんなり納得

  先日、本屋で目にした『米原万理の「愛の法則」』を買って、しばらくそのままにしておきましたが、おととい(13日)読み上げました。集英社新書で2007年8月22日発行となっているので、2006年に亡くなられて後の本ですね。いろいろな所での講演会の内容を一冊にしたものです。
  私は米原万理さんの本は『打ちのめされるようなすごい本』を読んだだけなのですが、これを読んでやっぱりすごい人だったんだなあと改めて思いました。

構成は  第一章 愛の法則 (石川県立二水高等学校での講演内容) 第二章 国際化とグローバリーゼーションのあいだ(愛媛県立三島高等学校での講演内容) 第三章 理解と誤解のあいだ―通訳の限界と可能性
(愛知県主催 シリーズ講演会「文化夜話」 第四章 通訳と翻訳の違い(神奈川新聞社神奈川地域社会事業賞受賞記念講演)

 となっており、「愛の法則」という題に惹かれて買ったわけですが、「愛の法則」については本書の四分の一だけ。しかも、非常にクールな生物学的、歴史的、文化人類的な男と女の関係について語っているわけで、心情に訴えかけうっとりとするような本ではありません。私がすごいなあ、ここいいなあと思ったところだけ、拾ってみます。
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 まず、第一章では、(高校生を目の前にして)ずばり自分が異性に目覚めたあたりから、入っていく。うまいですよね。ちゃんと聴衆者の意識を把握しています。自分が文学からいろんな知識や情報を得たと言っています。米原は幼い時から両親の関係で、チェコスロバキアで暮らし、ロシア語学校で思春期を迎えているのです。日本から送られてくる膨大な世界文学全集を読みこなしたということです。
米原は小さい時から、自分はブスだと思っていたようです。写真を見る限りはけっして、そうではありません。そう思っていたから、よけいに冷静に慎重に「愛の法則」について考えたのではと思うのですが、なんと驚いたのは、「男子サンプル説」を挙げていることです。生物的には、オスがいなくても繁殖はできるというわけです。細胞分裂とか、単為生殖とかいうかたちで。では、なぜオスが要るのかというと新しい環境に応じた強い個体を作るためだということです。だから、そのためにサンプルとして多くのオスが必要になるそうです。オスは強い物が勝ち残るようになっているらしい。「メスは量をにないながら質を追求する、オスは量を追求しながら質を担う」のですって。なんか妙に納得です。

 第二章では、2004年頃、教育界でも意識的に取り入れられていた「国際化とグローバリーゼーション」について。まず、国際化とはインターナショナリゼーションではなく、グローバリゼーションであるという。グローバリゼーションの問題点を指摘しながらも、日本が実は昔から国際的な受容性を持っていた。古代は中国の文化を、江戸時代には蘭学を、明治時代は欧米の文化、そして戦後はアメリカの文化というようにその時々の大国の文化を受け入れてきたと。そして、なるほどとうなずかされたのは、以下の点です。「日本の歴史を見ていると、日本の文化は貝みたいに閉じる時期と、全開してなんでも取り入れる時期とが、交互に来るのです。・・・鎖国時代というのは、無理して大量に外国から仕入れたものを消化していって、自分のものにしていく時期なのです。・・・そうしながら、日本も日本文化も発達してきたような気がします。」まだまだあるが、そのあたり。

 第三章の「理解と誤解のあいだ」では、『失楽園』に関する笑い話があり、『三つの願い』のおとぎ話から思い浮かべる教訓の米原流解釈(神様と人間のあいだにも通訳が必要だ)などの布石ののち、コミュニケーション論に入っていきます。ここからかなり通訳としての専門分野が入ってきますが、必ずしも通訳だけとは限らない、人と人とのコミュニケーションの関しても役立ちそうなことが書いてあります。しめくくりとして話された「チボー少年の話」これは圧巻でした。手に負えない厄介者のチボー少年が変化したのは、一人の先生のユーモアあふれる叱り方(これについては是非読まれたし)で、教室中の子どもたちが共感を込めて笑う。みんなと一緒に笑えるということがコミュニケーションの真髄だと言っているようだった。

 第四章で共感したことは、「辞書を引かずに本を読み通す」ことです。この場合は、ロシア語で書かれた日本の書物だったのですが、子どもの時に経験したことがあるのですが、単語の意味を辞書を引かずに考えること。私自身にも覚えがあります。徹底的に訓練されたような気がします。これをやっていると、だんだん意味が分かってくるようになるのです。後で辞書を引いて較べてもあまり変わらない意味が載っているのです。どんなふうにするかというと、米原も、「前後の文脈から分かる言葉の意味」と書いているように、自分でどういう意味を付加したらよいかを文脈で考えるのです。そして、通訳の場合はその国の文化的背景を考えたり、その人の立場や思想的な背景が文脈に置き換わるのでしょう。

 自分が、印象に残った部分だけを書きました。読みやすく、納得のいく文章です。今更ながら、もっともっと生きて仕事をしてほしかった人だなと思いました。

 
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白洲正子の本 [本]

なかなかやりますね、正子さん!

 インフルエンザで二日ほど寝込みました。木曜あたりから、ちょっと変だぞと思っていたのですが、土曜あたりから、ぞくぞくと寒気がして、いくら着込んでも寒いのです。早く布団に入ることにして、布団をかぶっても足が暖まらないのでした。ケータイで娘に「貼るカイロもってきて!」とたのむと、娘は電気アンカと湯たんぽと毛布を持ってきてくれました。熱をはかると、37.8度、38度と上昇します。仕方がないので、観念してここは眠って眠って眠りたおしてやろうと思い、日曜日も一日中寝ていました。娘の看病が功を奏してか、夜になるとだいぶ楽になりました。

  おかげで夜中に眼が冴えて、今度はもう眠れません。テレビの『キャットウーマン』を観て、『迷宮博物館』を観て、バレンボイムのピアノ番組を観てもまだ眠くなりません。そこで、読みかけていた白洲正子の文庫本『きもの美』の続きを読みました。

     

  この本は、1962年に徳間書店から出された単行本を、光文社が写真の差し替えをして、今年の1月20日に文庫本として出版したものです。着物愛好者のための入門書のような構造になっています。
文章がなかなか平易で読みやすい内容でした。およそ十日あまりで書き下ろしたということですが、なかなかよく調べてあります。<きものが好きになるまで>以下は、よくあるきもの入門書と同じですが、<きものが好きになるまで>のあたりは、白洲正子らしい哲学的な思想がちりばめられてあります。たとえば、
―― お転婆な私は、ぜんぜんそういうものに(お茶やお香など純日本的な趣味)興味がなく、むしろ軽蔑していたくらいですが、子どもの頃の環境というのは、おそろしいものです。教えられなくても、反撥しても、いつの間にか影響を受けている。大げさにいえば、そういうものだけが「伝統」といえるのでしょう。人為的に守っていくものが、伝統ではありません。これは自分のことだけでなく、何についてもいえると思いますが、私たちの身近にあるきものについても、知らず知らずのうちに、どんなに祖先のお陰をこうむっていることか。私がこの本を出す気になったのも、そういう事実に、気がついて頂きたいと思うからに他なりません。――
  また、こうも書いています。
―― ほんとにきもののよさを知ったのは、戦争中のことです。だんだんに物がなくなって、ほしいきものが手に入らない。洋服はもちろんのこと、あたらしいきものも買えないので、古着屋や田舎の旧家などから、古い布をひっぱり出して来る。すると、古くさい木綿のふとんや野良着なんかに、とてもモダンな柄がある。早速仕立てて、縞はモンペに、絣は短い上着や半天などにする。自分で縫うことのたのしさを覚えたのもその頃でした。――
  ものがなくなって、仕方なく工夫した面はあるだろうが、乏しいものの中できものの良さを再発見することになったのでしょう。きものは元々、直線裁ちであるので、作り直しに適しています。無駄がない。その点洋服は、その人に合わせた立体裁断なので、ほどくとどうにもなりません。戦争の頃はお金などがあっても二束三文だったといいますが、きもので食料と物々交換してもらったという話しは、いろいろな映画やドラマの中でよくあります。
  ほか、正子が民芸物に傾倒していくのだけど、それが高じて『こうげい』という民芸きものを扱う店を引き受けることになる。銀座の店での客とのやりとりなんかも面白く書かれています。

  私は四年ほど前に、町田市にある正子の居宅『武相荘』に行ったことがあります。四季折々の正子の遺品を展示したその田舎家は、まるで主がまだ健在かのように存在感が漂っていました。そこで求めた本が『きものー春』です。写真集といったほうがふさわしいかもしれませんが、正子の愛用した田島隆夫や古澤万千子の織物や染物が載っています。

      


  他には、別冊太陽『白洲正子の旅』、古本屋で求めた『明恵上人』があります。 ゆっくりと時間のある時に読みたい本で、まだ読んでいません。この人みたいに自分の好みを徹底して追及した女性はまれであろうと思います。そして、行き着いたところは、決してきらびやかなところではなかったように思えます。

     

西行 (新潮文庫)

西行 (新潮文庫)

  • 作者: 白洲 正子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1996/05
  • メディア: 文庫


かくれ里 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

かくれ里 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

  • 作者: 白洲 正子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1991/04
  • メディア: 文庫


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